5月号

有馬温泉歴史人物帖 ~其の弐拾六~ 仙石* 秀久(せんごく ひでひさ) 1552~1614
兵庫県という一つの自治体から、醜聞が続々と全国へ届けられておりますな。でもこの一連の騒動は、藩=自治体と捉えるとある意味ひょうご郷土の伝統で、赤穂藩では藩主の刃傷沙汰と浪士討ち入りがあり、出石藩では仙石家のお家騒動が江戸時代の「三大お家騒動」の1つになってございます。いずれも講談化されて前者は『赤穂義士伝』、後者は『仙石騒動』として親しまれていますが、百年後の講談師は続き物『兵庫喧恥示顛末』を口演してたりして。第二話『舌打ち付箋投げ』とか第八話『出しゃばり女の沈黙』とか聴いてみたいよねー。
その講談『仙石騒動』も続き物でして、第一話『蛇の目坊主』はご存知!大盗賊、石川五右衛門の捕縛が話の発端です。なぜ?それは大名としての仙石家の初代、仙石秀久が五右衛門を捕らえた、という伝承があるからなんですよ。
秀久は美濃の豪族の出で、豊臣秀吉の家臣の中でも最古参。若い頃から勇ましく活躍し大名に取り立てられるも、九州攻めでやらかして追放…ところが小田原征伐の際に徳川家康の助力を得て馳せ参じて赦され、秀吉没後は家康について信州小諸の藩主となりましたが、詳しくは宮下英樹さん作の名作マンガ『センゴク』シリーズをご覧あれ。ちなみにその後仙石家は上田藩を経て出石藩へ転封しますが、信州の蕎麦職人も同行し蕎麦が出石の名物になったとか。
さて、古来より北摂と播磨を結ぶ街道は歴史ある温泉地、有馬を要として成立してきましたが、1578年に三木合戦がはじまると兵站や情報の通路として三木へ通じる湯の山街道が特にその重要性を増します。三木城に籠城する別所方からすれば食糧供給だけでなく、味方である荒木村重の伊丹や石山本願寺の大坂と通じる命綱ですので、対する秀吉はここを必死に抑えようとするんですね。また長期戦ですから温泉に傷病兵の療養という機能が期待され、秀吉軍の名軍師、竹中半兵衛も病にありましたので、有馬は三木攻めの要所なのでございました。
そこで秀吉は1579年、有馬とそこへ通じる街道筋を統治する湯山奉行を置くのですが、これに若き秀久を抜擢!実は荒木方が三田城やその周辺の城を抑えていて、秀久はこれらを攻め功績を積んでいたのですね。
いまのアウトレットの北にあった茶臼山城の開城もその戦功の1つですが、ここの城主、一蓮坊祐之は秀久に「俺の首をやるから家来は助けてくれ」と懇願したとか。己の地位より部下の命が大切、組織のトップたる者はこうありたいですな。で、兵庫県はいかがでございますか?
*一部史料では「千石」とも表記されていますが、本稿では「仙石」で統一します