5月号

連載 教えて 多田先生! 素粒子物理学者の宇宙物理学教室|〜第23回〜
失われた質量
自然界で最も大きな存在が宇宙、そして最も小さな存在が素粒子と考えられている。素粒子を研究することで、宇宙のはじまり、人間の存在を解明する︱― 日本の誇りをかけて、その最前線で日々研究に打ち込む素粒子物理学者・多田将先生。今月号から、謎に包まれた宇宙について多田先生に教えていただきます。さあ、授業のはじまりです!
第11回から第22回まで、ビッグバンについて話してまいりました。宇宙のはじまりの謎を解いていったと思ったのに、その最後に、新たな謎が生まれてしまいました。「得体の知れない『なにか』が宇宙を支配している」という謎です。今回からは、その「なにか」について話していくこととしましょう。
そのビッグバンの話の初回、第11回のタイトルは、「空はなぜ落ちてこないのか」でした。この宇宙を支配する謎の「なにか」についての話も、それを開始地点としましょう。
第11回では、空が落ちてこないのは、落ちないように必死で運動しているからだ、という話をしました。サー=アイザック=ニュートンは、その運動を定量化し、運動の法則としてまとめた、ということでした。この運動の法則を用いれば、天体にかかっている力、すなわち重力がわかれば、それに引っ張られつつ運動するようす(たとえば速度)が計算できますし、逆に天体の速度からそれにかかっている重力も計算できます。重力が計算できるということは、それを生み出している質量も計算できます。現代に生きるみなさんは、たとえば「太陽の質量はいくらか?」ということを、ネットにつながってさえいれば、すぐに調べられます。ところが、人類の歴史上、太陽の質量を直接測ったことがある人もいなければ、それどころか、太陽近くまで行ったことがある人すらいないのです。なのになぜ、「ぐーぐる先生」は、さも当然のように太陽の質量を教えてくれるのでしょうか。それは、太陽からの重力を受けている惑星の動きを観測することで、太陽や、それら惑星自体の質量を計算できるからです。
太陽に行かなくてもその質量が計算できるなら、もっと遠くの天体、たとえば銀河とかの質量も計算できるはずです。そして、できることはなんでもするのが学者というものです。地球から観測できる銀河の回転速度を調べることで、たんに「合計でどれくらいか」だけでなく、質量の分布まで計算しました。
質量の分布とはどういうことでしょうか。たとえば我々の太陽系は、その質量のほとんどが太陽に集中していて、最大の惑星である木星であろうとも、太陽の一〇〇〇分の一しかありません。太陽は、太陽系全体の質量の実に九九・九パーセントを占めます。これくらい「太陽一極集中」だと、重力の影響は、太陽に近いほど大きく、離れるほど小さくなります。したがって、「落ちないように必死で動く」ということから考えて、太陽に近いほど高速で、太陽から遠いほどゆっくり動くことになります。実際、もっとも内側の惑星である水星の公転速度は、もっとも外側の冥王星のそれの一〇倍です。このように、質量の分布と天体の速度の関係は、厳密に計算できます。
銀河の場合は、中心附近に「バルジ」と呼ばれる巨大な輝きがあり、そこから「ディスク」と呼ばれる円盤状の構造が広がっていますが、明るさからいくと、やはり中心のバルジが圧倒的です。銀河は、太陽のような光輝く恒星の集まりですので、明るいということはそれだけ多くの恒星が集まっている、言い換えれば、多くの質量が集まっている、ということになります。これは定性的な表現ですが、実際には、恒星内部でどのような核融合反応が起こり、どのような光が発せられるか、というメカニズムまで解明されていますので、銀河の明るさの分布から、恒星の質量の分布まで計算できるのです。それでいくと、銀河は中心附近のバルジに恒星質量の大部分が集中し、周囲のディスクにはそれほどないことがわかります。となると、銀河の回転速度は、太陽系と同じく、中心に近いほど速く、遠いほど遅くなる││と、思うでしょう?
これが、まったく違っていたのです。そのことに最初に気づいたのは、米国の天文学者ヴェラ=クーパー=ルービンでした。彼女に先立つ数十年前、スイスの天文学者フリッツ=ツヴィッキイもおかしな現象を発見していました。彼は、銀河自体の回転速度ではなくて、銀河同士が互いに重力を及ぼし合って運動するときの速度が、やはり運動の法則から導き出される速度と合っていないことに気づきました。
これらの観測から考えられることは二つあります。まずは、運動の法則が、銀河のような巨大な規模では成り立っていないこと。しかし、太陽系で成り立っているものがその上の階層で成り立たなくなることは考えにくいのです。物理法則というものはあらゆる階層で成り立つはずで、そうでなければ重力という考え方そのものが間違っていることになります。ルービンも、ツヴィッキイも、それ以外の物理学者や天文学者も、そうは考えませんでした。
そこでもうひとつの考えに辿り着きます。右で「質量」として計算したのは、あくまでも光輝く恒星の質量だけです。もし「光輝かない」物体があったとしたら、それは地球からは観測できないので、その分の質量は計上できていません。たとえば惑星がそうです。なんだ、解決か││と、思うでしょう?
これが少しぐらいなら驚かないのですが、なんと、その「光輝かない」分の質量は、光輝く恒星より桁違いに多かったのです!
ツヴィッキイは、これを「missing mass(失われた質量)」と呼びました。これこそが、前回までのビッグバンの話で最後に残った謎の「なにか」、そして今回からのお話しの主役なのです。

The Great Andromeda Galaxy – M31 Galaxy “Elements of this image furnished by NASA” muratart@shutterstock
PROFILE
多田 将 (ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。