5月号

⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.54 作家
瀬尾 まいこさん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。
第54回は、発表する小説が次々と映画化やドラマ化される人気のベストセラー作家、瀬尾まいこの登場です。〝ヒット作誕生の方程式〟はあるのだろうか。
文・戸津井 康之
撮影・服部プロセス
自分自身をここまで物語に描くのは初めて…
私のすべてはここにある
〝集大成〟の新作
「私の小説を読んでくれる人たちが、少しでも気持ちが楽になったり、楽しんでもらえたら…」
鋭い人物描写で、善悪の両面を合わせ持つ人の心の内面を奥底まで掘り下げていく一方で、人と人との温かい心の触れ合いや、助け会う無償の愛の素晴らしさを訴える…。そんな細やかで優しく、かつ力強い人間賛歌を小説のなかで描き続けてきた。
水鈴社から発刊されたばかりの新作のタイトルは『ありか』。
「書いている途中で、このタイトルが思い浮かびました。これしかない…と。これまでの私の人生をすべて、この作品に込めました」と瀬尾まいこは熱く語る。
居場所はここにある―。そんな覚悟を込めた一作であることがタイトルからも伺える。
続けて語った「読んでくださった方の何かを掬ってくれるものが、この物語のなかにあれば、幸せです」の言葉のなかには、人それぞれの〝ありか〟を見つけてほしいという願いが強く込められていることも分かる。
デビュー作から一貫して作品のなかへ込めてきたテーマ。その根源は揺るがない。
母との関係に悩みながら一人娘のひかりに愛情を注ぐシングルマザー、26歳の美空が主人公。他に登場人物は夫と離婚後も、美空とひかりの生活を心配し、何かと世話を焼いてくれる元夫の弟、颯斗。ひかりのパート先の同僚やひかりが通う保育園の保護者たち…。
初めての子育てに困惑しながら、さらに母との関係に悩みながらも、必死に生きる美空の日常の日々が淡々と綴られる。
「これまでの小説もそうですが、私の小説では、とくに大きな事件などは起きません。今回も…」と本人はさらりと話すが、何気ない日常こそがドラマチックに日々展開し、驚きや喜び、哀しみに満ち溢れた瞬間の連続なのだ、と読み進めながら改めて気づかされる。それこそが、多くの読者を魅了してやまない瀬尾作品の大きな魅力なのだと。
創作への覚悟
新作の物語の着想、構想はどうやって生まれたのだろうか?
「数年前、編集者から〝次は瀬尾さんと娘さんとの物語を読んでみたい〟と言われたのが、この小説を書くきっかけになりました」
11年前に長女を出産。子育てに奔走する姿を間近で見ていた編集者からのアドバイスだった。
昨年初旬、書き下ろしとなる長編小説『ありか』の執筆にとりかかった。
「もちろん小説なので、フィクションですが」と前置きしたうえで、「小学5年生になった長女との生活が、この小説の大きなテーマになっています」と明かす。
ひかりは保育園の年長組でもうすぐ小学1年生になる6歳。瀬尾自身が初めて母となって得たもの、子育てで経験した〝奮闘の数々〟が小説のなかに散りばめられている。
「これまでの私の人生を全部込めたと言い切れる小説を書きました」
〝現時点の集大成〟と語る長編原稿を昨年秋に完成させ、脱稿した。
「喜びも哀しみも、私のすべてはここにある…」
《どこか母が怖くて、捨てられたくなくて、嫌われたくなくて苦しかった。好かれたい。そう思う一方で、否定的な言葉を浴びせられるのがつらくて、早く大人になって母から逃げたかった》
自分の子どもの頃を振り返り、母との関係に悩む美空の本音が赤裸々に吐露される。
また一方で、離婚した夫とはほとんど連絡も取り合わないが、義理の弟、颯斗は母子の生活を気遣ってくれる。
たとえ、遠い親戚であっても、あるいは血縁関係がなくても、人は助け合うことができる新時代の人間関係の在り方、家族の在り方を提示し、現代人に問いかけてくるようだ。
「それぞれ、モデルはいますよ」と創作の背景、構想のヒントを明かしてくれた。
読む者は、シリアスな展開に胸をしめつけられるかもしれないが〝実生活〟の心配はご無用のようである。「夫と娘と家族三人、仲はいいですよ。長女は、パパではなくママ、ママとしか言いませんが」と笑顔で語る。
《……頭の中でいろいろと考える。もしも結婚しなかったら、もしも離婚しなかったら……。それから遡って、大学に行っていたら、なりたい仕事についていたら、自分が恵まれた家の子どもだったらと。いろんな場合の「もしも」を考えて、どんな未来にたどりつけていたかを想像する……》
美空が抱く「もしも…」は、この世に生を受けた万人に無縁ではないだろう。
映像化が相次ぐ理由
2019年、本屋大賞を受賞し、2021年に映画化されたベストセラー小説『そして、バトンは渡された』も〝新しい家族像〟が描かれていた。
3人の父と2人の母の下で育つ〝数奇な運命〟を背負いながらも健気に生きる女子高生、森宮優子が主人公。
「たとえ、血がつながっていなくても、人間は多くの人に支えられ、助けられながら成長していく。そんな姿を描きたかった」
映画では、逞しく生きるヒロインを女優、永野芽郁が熱演した。映画の公開前、筆者は前田哲監督を取材した。
映画化のきっかけを問うと、前田監督は「小説を読んで感動し、すぐに瀬尾さんに手紙を出したんです」と語った。
前田監督のラブコールを受け、瀬尾は「とても熱心なお手紙でうれしかったです」とすぐに映画化を了承したという。
2007年に公開された北乃きい主演の『幸福な食卓』をはじめ、加藤ローサ主演の『天国はまだ遠く』(2008年)、中島裕翔、新木優子の共演作『僕らのごはんは明日で待ってる』(2017年)、そして昨年公開された松村北斗、上白石萌音W主演の話題作『夜明けのすべて』など、発表する小説が相次いで映画化されている。それも〝旬〟な俳優たちがこぞって出演している。
「映画は好きです。実は『夜明けのすべて』には娘と一緒に出演しました。ほんの一瞬ですが」とうれしそうに教えてくれた。
映画監督やプロデューサー、俳優陣…。活字で描き上げる瀬尾作品の世界観に魅了される映像の作り手は少なくない。
希望の〝ひかり〟
大阪市で生まれ、幼少期を兵庫県宝塚市など関西で過ごした。
2001年、『卵の緒』で坊ちゃん文学賞大賞を受賞。翌年、作家デビューを果たすが、「幼いころの夢は学校の先生でした」と話すように、作家となる前に中学校の国語講師を経て、2005年から2011年まで京都府内で中学校の国語教師として勤務した。
現在は奈良市で子育てをしながら作家に専念し、小説を執筆している。
「〝これは私の話だね〟。そう長女が横から原稿を覗き込みながら聞くので、〝そうだよ〟と答えました」
絵本以外で長女が読む小説の〝読書デビュー作〟は母が書いたこの『ありか』になる予定という。娘を思って語る母の優しい表情は誇らしげでもあった。
今後の抱負を聞くと、「子育てが一段落したら、また、教育現場に復帰してみたい。どんな立場で関われるかは、まだ分かりませんが…」。そう希望を語りながらも、「数年先まで新作のスケジュールは埋まっています」と言う。まだまだ創作活動から離れるつもりはない。
「私の子供時代?おとなしい子で先生からあまり気にされていなかったのでは…」と語ると、「だから私は生徒の誰一人、寂しい思いをさせない先生になりたかった」と教職を目指した理由を教えてくれた。
人は誰かに愛情を注ぎ、注がれ、支えあいながら生きていく。
「血のつながりはそんなに関係ないと思います」。この言葉はこれまでの小説のなかでも貫かれてきた。
教師として、そして母として培った経験が、これからどんな形で小説のなかに投影されていくのだろうか…。
新作は、「痛みや苦しさを伴いながらも、私にとって〝幸せと未来の塊〟とも言える大切な作品です」と語る。
美空とひかり―。二人の名は、明るい未来と希望を抱かせてくれる。

『ありか』
母親との関係に悩みながらも、一人娘のひかりを慈しみ育てる、シングルマザーの美空。義弟の颯斗は、兄と美空が離婚した後も、何かと二人の世話を焼こうとするが―。
1,980円(税込) 水鈴社
瀬尾 まいこ(せお まいこ)
1974年大阪府生まれ。2001年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞、2019年『そして、バトンは渡された』で本屋大賞を受賞。2020年刊行の『夜明けのすべて』は映画化され、ベルリン国際映画祭フォーラム部門に正式出品されたほか、数々の映画賞を受賞するなど、大きな話題となった。他の作品に『図書館の神様』『強運の持ち主』『優しい音楽』『あと少し、もう少し』『傑作はまだ』『私たちの世代は』『そんなときは書店にどうぞ』など多数。