5月号

連載エッセイ/喫茶店の書斎から 120 「塔和子の声」
二月号に、詩人永瀬清子に関することを書いた。その一部。
《生前の永瀬が、ハンセン病療養所に長年通って元患者たちと交流を深め、偏見で苦しむ入所者に詩を書くことで生き伸びて欲しいと支援を続けた…》
その元患者の中に、H氏賞候補にもなった詩人、塔和子がいた。
少し話が逸れるが、「さくらFM」のパーソナリティー、久保直子さんが、このところ番組の中で塔和子の詩を紹介しておられて、わたしも詩集をお貸しするなど多少の協力をしている。
そんなときのことだ。作家の出久根達郎さんから一冊の本が贈られてきた。『発奮伝』(藤吾堂出版・2026年3月15日発行)。
それを読んでいて「えっ!」と声が出た。
「塔和子」という項目があって偶然に驚いたが、それはまあ、本を読んでいるとよくあることだ。わたしはその内容に声が出たのである。
四ページにわたって書かれているその概略。
1970年、三島由紀夫が自衛隊本部で割腹自殺するという事件があった。当時、古書店員だった出久根さんのそれにまつわる体験。店に迷惑をかけ、ご主人をがっかりさせてしまう。その内容も非常に面白いのだが、それは省く。興味のある人はこの本をお読み頂きたい。
そんな時の話。店のお客さんの中に出久根さんが「社長」と呼ぶ無類に本好きの人があった。活版印刷所を経営する社長。その社長に出久根さんが事のてんまつを語ると、「うちに古い三島のものがある、譲ってあげるよ」ということで、主人への面目が立ったと。これがきっかけで出久根さんはこの印刷所に出入りするようになる。そこでのことだ。
当時、出久根さんは「燎原」という文学同人誌を出していた。社長は文学にも造詣が深い。自然に同人の溜り場になった。ある時、社長が活版のゲラ刷りを同人たちに読ませた。「真夏の昼」という詩であった。「いいですねえ」と声を揃えた。「いいかね」社長が嬉しそうに念を押した。
懇意の人の作を、奉仕で制作しているのだと言う。そして、「ついては君らにお願いがある。私の所で印刷するが出版社の名が無いのは、作者がかわいそうだ。君らの燎原社を使わせてほしい」と言われ、「構いませんよ」と快諾。
ここからは出久根さんのお許しを得て文章をそのまま引く。
《社長がその場で電話した。長いこと相手に説明している。私たちは勝手に酒を飲み息巻いていた。突然、社長が私を呼んだ。「悪いけど、例の詩吟をやってくれるかい?」受話器を差し出す。「聞きたいと相手が頼むんだ」「はあ?詩吟のファンですか」
その頃、酔うと私は頼山陽の漢詩を、やたら吟じた。社長の前でも何度か披露している。親孝行の息子が老いた母を歓待する詩である。相手が誰かわからないが、酔った勢いでいきなり唸りだした。中にこんな詩句が出てくる。
「五十の児に七十の母あり/この福、人間(じんかん)に得ることまさに難かるべし」電話の向こうから娘さんのすすり泣きが聞こえた。終わると、ありがとうございました、身に沁みました、と礼を述べた。鈴を転がしたような、澄んだ美しい声であった。
のちに教えられたが、彼女は国立療養所大島青松園に入所している詩人・塔和子さんであった(当時44歳)。社長が出版した彼女の第三詩集『エバの裔』(燎原社)は、H氏賞の候補に上げられた。》
出久根さんの著書を長く読んできているわたしだが、塔さんとの間で出久根さんにそんなことがあったなんて、初めて知った。
この本を「さくらFM」の久保さんに紹介すると、彼女は早速、番組でこのエピソードを語り、「真夏の昼」という詩を全文朗読したのだった。
「真夏の昼」(一部) 塔和子
生きている本当だろうか/生かされている本当だろうか/(略)あったというのははたして本当だろうか/光と闇を分けられ/天と海とを分けられ/海と陸とを分けられ/すべての植物をはえさせ/すべての生き物を満ちさせ神が創造した/創造したというのは本当だろうか/(略)ああ真夏の昼/嘘のような真の間の/真のような嘘の間の裂け目/樹々が繁り/海が光り/遠い対岸の街が見える
「遠い対岸の街が見える」が痛切哀切だ。

(実寸タテ15.5㎝ × ヨコ11.5㎝)
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・代表者。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。












