7月号

連載 教えて 多田先生! 素粒子物理学者の宇宙物理学教室|〜第25回〜
宇宙の暗黒物質
自然界で最も大きな存在が宇宙、そして最も小さな存在が素粒子と考えられている。素粒子を研究することで、宇宙のはじまり、人間の存在を解明するー 日本の誇りをかけて、その最前線で日々研究に打ち込む素粒子物理学者・多田将先生。謎に包まれた宇宙について多田先生に教えていただきます。さあ、授業のはじまりです!
前回は銀河の中の暗黒物質の話をしました。その候補のひとつは、MACHOと呼ばれる、ハローの中に存在する、可視光では見えない天体でした。しかし、その観測結果からは、銀河全体の質量分を説明できないことがわかりました。今回は、その範囲をもっと広げて、宇宙全体でどれだけの暗黒物質があるのかを考えてみましょう。
宇宙全体でどれくらいの質量があるのかは、多くの人が興味を持つところで、それを観測から割り出そうという計画はすでに行われています。そのひとつが「Cosmic Evolution Survey」と呼ばれる観測です。これは、ハッブル宇宙望遠鏡を中心として、それ以外の人工衛星に積んだ望遠鏡や地上の望遠鏡など世界中の天文施設を使い、前回お話しした重力レンズ効果を用いて宇宙の暗黒物質の分布を調べるものです。世界一二か国から二〇〇人以上の天文学者が参加し、二〇〇七年に最初の暗黒物質三次元分布を発表して以降、今でも続けられています。「Evolution」とついているように、たんに暗黒物質の分布を調べるだけでなく、それによって宇宙がどのように進化していったかを研究するのが目的です。第14回でもお話しした通り、観測する場所が遠いほど、時間をさかのぼって「過去」を観測していることになるからです。ひじょうに素晴らしい計画ではあるのですが、一点だけ、「COSMic evOlution Survey」の略称が「COSMOS」なのは、相当無理があるでしょう笑笑
いっぽう、ある銀河だけ、ある銀河団だけ、というような特定の領域だけの分布ではなく、「宇宙全体でどれくらいの暗黒物質があるか」という「丼勘定」でよければ、ほかにも算出方法があります。第18回で、観測事実として宇宙は驚くほど平坦であるということ、そしてそのためには宇宙空間を平坦にするための質量密度が、臨界密度という値ぴったりでないといけない、という話をしました。また、第21回では、宇宙初期にインフレイションが起こっていれば、自動的にその臨界密度になり、宇宙は平坦になる、という話をしました。そして、第22回では宇宙の未来について述べましたが、そこで、臨界密度ぴったりでなければ、宇宙は重力で潰れてしまったり、逆に延び延びになってしまったりする、ということをお話ししました。宇宙が百数十億年にもわたって安定して存在しているという事実そのものが、宇宙が臨界密度ぴったりであることを示しているのです。つまり、宇宙の質量分布を測定しなくとも、臨界密度を求めれば、宇宙全体の質量がわかるのです。
では、臨界密度はいくらでしょうか。これは、万有引力定数と、ハッブル定数、つまり、第12回でお見せした、天体の後退速度と距離との関係の比例定数から求められます。現在観測されているハッブル定数から、宇宙の臨界密度は、だいたい、1×10-26kg/㎥です。水の質量密度が1×103kg/㎥ですから、水よりも二九桁も「薄い」ということになります。実は宇宙が必要としている質量は、たったこれだけでよいのです! 重要なのは、薄くはあるが、宇宙全体に広がっている、ということなのです。
そしてもうひとつ、宇宙全体の質量を推計する方法があります。それは、第8回でお話しした、「ペアになれなかった残りもの」問題です。つまり、素粒子物理学の面から、現在宇宙に「残って」いる物質の量を計算できるのです。それから求めた物質(ここでは、われわれの身体などを構成する、電子や陽子といった粒子からできた普通の物質)の、宇宙平均密度は、5×10-28kg/㎥ていどです。おや? 臨界密度から求めた量と全然違いますね。臨界密度のたった5%しかありません。残りの95%はどうなっているのでしょうか。
前回と前々回で、恒星でも、MACHOでも、「失われた質量」を説明することはできない、という結論に至りました。それはそのはずです。なぜなら、こういった天体は電子や陽子といった「普通の物質」からできているのであって、その「普通の物質」がそもそも宇宙の5%しかないのですから、どう考えたって足りないわけです。
それでは次回はいよいよ、その95%の「普通ではない物質」とはなにか、を考えてみます。

COSMOSによる暗黒物質の三次元分布の例 NASA/ESA/Richard Massey (California Institute of Technology)
PROFILE
多田 将 (ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。