7月号

6通のブルックリンからの手紙|大江千里|
4通目|犬について
僕の犬との出会いは小学校4年。柴犬の雑種(メス)が学校帰りにずっとつけてきて、みんなにヤイヤイいじられてたのを僕が助けたのです。すると引き戸が開いたクラスの外でずっと僕を待っていて、一日中僕を追い、なんと学校帰りについてきてそのまま大江家の犬になったのです。ジャッキーと名づけました。
彼女は丸いものを恐れてました。ドッジボールとか僕が始めると道路の溝に隠れてしまうのです。よっぽどいじめられたトラウマがあったんだと思います。ジャッキーのために父が日曜大工で家を建てました。ジャッキーは子どもをいっぱい産みました。何度かお産したので僕が住むニュータウンにはジャッキーの子孫がどんどん増えていきました。
うちで面倒見てたのはジャッキー、息子の太郎、父違いの娘アニー、娘2アッコ、などなど。
今思えば辛い経験もしました。「捨てておいで」と言われ生まれたばかりの子犬をジャッキーから引き離し、段ボールに入れて遠くまで捨てに行ったこともあります。妊娠してるジャッキーと遊んでてお腹を打たせてしまい、後ろ足が麻痺した犬が生まれたこともあります。頭のいい子で僕のことが大好きで、なのにおっかけっこすると前足だけで体をくねらしながら逃げていくのが面白くて脅かしたこともあります。子どもって残酷っていうか、僕が残酷なんですね。そうやってハーハー言って疲れてても、僕が呼ぶとニコニコそばにくるんです。だから夜中に、無事かどうか玄関までそっと見に行ったりしました。
ある日、食べ物が詰まって死にました。瞳の澄んだ子で今もくっきり顔が浮かびます。庭に埋めたんじゃなかったかな。
ジャッキーは長生きで20年くらい生きましたが、死ぬ時は高い塀を飛び越えて外へ逃げていきました。今思うに、死に場所を探してたんじゃないかな。ジャッキーの末裔のアッコは母のお気に入りで、ずっと家にいて母が抱っこしてました。
でも僕だけに懐かないんです。80年代、90年代、帰阪し家に帰り、リビングでくつろぐ母に近づこうとすると何度も噛まれました。
犬には苦い思い出があるので、成人してからは飼うのは分不相応だとずっと敬遠してましたが、ひょんなことからキョン(シェルティ)を青山ケンネルで見つけ飼うことに。翌月キョンのご飯を探しにケンネルを訪れ、弱々しくて売れ残ってたもも(ゴールデン)を連れて帰り、我が家は一挙に″3人家族”になりました。
キョンは学級委員、ももはいつもはみ出しっこ、タメなのに、キョンは強くももが弱い。どこへいくのも3人一緒、楽しい時間が始まりました。ももと海で泳いだとこもあるし、キョンはキャディさんのようにそれを見守ってました。一度、2人が食べ物を取り合って喧嘩した時に仲裁に入り牙が僕の指に入り流血事件が。救急車を呼んだので手当ての後に警察の方に事情聴取されました。
「女性が2人、その間に入って刺されたということですが」「はい、噛まれたんです」「名前は?」「キョンともも」大笑いになりパトカーで家まで送ってくださいました。
しかし、ももは白血病で11歳、キョンはその後頑張って14年の命をまっとうしました。
キョンが亡くなった後、あまりのロスで、夜な夜な街をふらついてたところ、ペットショップでぴに出会うのですが、やはりキョンのいなくなった心を癒すために飼うことになった自分を責めて、ぴに謝る日々が続きました。
でも今思うに、小脇に抱えられる犬という意識の中には「アメリカへ移住しよう」という目論見が心に潜んでたんだと思います。どこへでも一緒に行って、アメリカで勝負するという思いが。
17年7ヶ月、ぴは一生をまっとうしました。
ぴと僕は一台の車の前輪と後輪。なのでぴがいなくなりずっと空虚でした。
僕のジャズレーベルの名前は『PND』。その略は「Peace Never Die」、彼女を尊重しレーベルやジャズの活動は続けます。
犬との暮らしは憧れますが、もう今はないと思います。その代わり現在は街中の犬が僕の友達。そして、ぴ、キョン、ももの3姉妹は遺灰という形に変わっても、どこへ行くにも僕と一緒です。空港の検査ではいつもストップされますが、白い粉の正体が「僕の愛する犬」だというのがわかるとリスペクトを込めて、手のひらでやさしくキスをして返してくれます。
最近、里親の会のボランティアを始めました。いきものの素晴らしさを教えてくれた3匹が背中を押してくれてます。そして虐待、戦争、人身売買などがなくなるように、心を込めて僕は音楽でメッセージを送り続けようと思います。それがキョン、もも、ぴへの恩返しです。
大江 千里
note SENRI OE 大江千里