7月号

連載エッセイ/喫茶店の書斎から 110 羽化登仙
「喫茶・輪」で詩画展を開いたことがある。その時のことだ。
いつも通りにカウンター席に座り、文学談義などしながら時を過されていたのはわたしが畏敬した文学研究家の宮崎修二朗翁。
翁には店のメニューにはない水割りを提供するのが常だが、その日は特にいいご機嫌になられて遊び心が生まれたようだった。
翁は文学だけではなく様々な分野に通じておられて、その一つに「書」がある。
三月号に書いたように書家村上翔雲師とも親しかったが、ご自分も個性的な字を書いておられた。
翁のお遊びだが、
「墨と筆と紙を」と所望された。
驚いた。筆を持たれた翁は半紙を前にして、手前から向こうに向かって文字を書かれた。半紙の下から上にだ。文字も逆さまである。まるで曲芸だ。それがちゃんとした言葉で「書」になっていた。そんな遊びで見る人を驚かせた後も、思いつく言葉を吐き出すように次々と書いて遊んでおられた。そして、「これは恥をかいたものですから全部捨てて下さいね」と。
ところがわたしは、中の一枚が捨てるに惜しい書だったので額に入れて店に飾った。
美女ぞろいの
自画像展に
酔ひ帰る
苦労 悲々 惨 修
九六・一一・三
一九九六年十一月三日だったことが分る。
その詩画展の出品者は女性が多かったのだ。美女かどうかは覚えていない。
さて次回にご来店の時だ。
その書額を目にした翁は、
「恥ずかしいから捨てて下さい」と即座におっしゃった。「その代わりにいいものを持ってきます」と約束された。
そうして持って来られたのが阿波野青畝の短冊だった。
「羽化登仙」と言う文字。青畝は俳句の人だが、この四文字。
意味は「羽が生えて空に登って行き、仙人の境地に」とわたしは解していた。
その短冊は、店を廃業した後の書斎兼応接室の「輪」に今も飾ってある。
このほど、ご来訪の「劇団神戸」代表、小倉啓子さんがこの短冊に目を留められた。
「なんと書かれているのですか?」と。
「羽化登仙です」とお答えした。すると小倉さん、こうおっしゃった。
「お酒を飲んでいい気分になって空に登ってゆくような字ですねえ」と。
言われてみればたしかに、軽く柔らかな文字である。いかにも空に漂うような。
そこでわたしはハッとした。
そうか、そうだったのか、と気づいたのだ。
あの筆を振るってのお遊びをしておられた時の宮崎翁は、その境地だったのではないか。
水割りを飲みながら、好きに筆を運ばせて遊んでおられた時は、正に「羽化登仙」の境地だったに違いない。
だから、「代わりにいいもの」と持って来て下さったのが「羽化登仙」の短冊。
翁のその心をわたしは今の今まで読めていなかったのだった。あれから三十年近くなって、やっと謎が解けたような。
宮崎翁、昇って行かれたあの空から「やっと気づいたか?」とニンマリしておられることだろう。
いや恐いお人だ。
ところで短冊の阿波野青畝(1899年~1992年)だが、高浜虚子に師事し、山口誓子、高野素十、水原秋櫻子とともに「ホトトギスの四S」と称された俳人。短冊は値打ち物なのだ。
西宮の甲子園に在住したことから「甲子園」と題した句集がある。
これまでわたしは詳しく読んだことがなかったが、これを機に繙いてみた。
浅学のわたしには難しい句もあるが、親しみやすいユーモアあふれる写生の句もある。
姥の爪芋茎すいすいむけてゆく
馬の鼻ぶるんと鳴らす暑さかな
あ、書き忘れていることがあった。
あの「美女ぞろいの」の書、実は今も捨てずに大切に保管している。
先生、お叱りになりますか?

(実寸タテ16㎝ × ヨコ4㎝)
六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。