12月号
神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~(56)後編 小泉八雲
小泉八雲「日本を最も愛した西洋人」…神戸で育んだ日本の心
神戸で迎える〝130年〟の節目
神戸で〝日本人・小泉八雲〟として生まれ変わったギリシャ人、ラフカディオ・ハーン。
幼少期に親元を離れた彼は流転の人生を送っていた。来日したのは今から134年前。バンクーバーから客船に乗り、17日間かけて太平洋を渡り日本の横浜港へとやって来た。
1890年4月4日。米国の通信社の海外特派員として日本へ降り立った彼が当時の様子を綴った描写がある。「ラフカディオ・ハーン 日本のこころを描く」(河島弘美著、岩波ジュニア新書)に船上から初めて日本を見て感動した彼の思いがこう表現されている。
《かすかに青いものが、黒々とした海の果てに見えてきた。美しく険しい山が連なっている。はじめて見る日本の姿であった》
遂に日本の地を踏みしめた八雲だったが、わずか2カ月後の6月。米国の通信社へ絶縁状を送りつけている。
理由は、一緒に来日した挿絵画家の方が、彼より多額の報酬を約束されていたことを知ったからだ。彼の〝頑固さ〟は終生変わることはなかった。否、「頑なに変えなかった」と言った方がいいかもしれない。
彼は新たな赴任先、出雲の国・松江へと向かう。島根県の尋常中学校と師範学校で英語教師として働くことになったのだ。
この松江に彼の人生を大きく変える〝運命の人〟が待っていた。
妻となる小泉セツとの出会いだ。
セツは松江藩士の娘で、彼の身の回りの世話をするために住み込みで手伝いに来ていた。
すぐに八雲とセツは惹かれあい結婚するが、夫婦であると同時に、二人は〝文学の創作パートナー〟という独特の信頼関係を築いていく。
熊本の中学校に赴任するため、彼は教え子からも慕われた松江を離れ、家族とともに転居する。この地でセツは長男を出産する。
二人は松江で日本風の結婚式を挙げていたが、籍は入れていなかった。当時、西洋人が日本人と結婚したり、帰化することが、とても困難だったことは想像に難くない。
そして、彼は〝運命を変える地・神戸〟へと家族を連れてやって来る。
教員を辞めた彼は熊本を離れ、1894年10月、英字新聞「神戸クロニクル社」の記者として就職する。
セツと長男、養祖父に養父母、使用人。熊本から大家族で神戸へと引っ越してきた〝大所帯〟での生活が、現在の神戸市の兵庫県中央労働センターの敷地内の住居で始まった。
彼は神戸で子供を育てる中で、しだいに日本への帰化を考えるようになる。手続きに長い時間がかかったが、1896年2月、小泉八雲に改名。このとき八雲は日本で骨を埋める決意をする。
「日本を故郷に」と決めたのだ。
セツとの二人三脚
来秋、放送が始まるNHK連続テレビ小説「ばけばけ」の主人公はトキ。八雲の妻、セツがモデルだ。二人が暮らす当時の神戸がどんなふうに描かれるのか、今から楽しみである。
八雲にとって、セツの存在は妻であると同時に、彼の仕事に欠かせない大切なパートナーであったことが知られている。
「ラフカディオ・ハーン 日本のこころを描く」のなかに、この二人の〝独特の信頼関係〟が分かる描写がこう綴られている。
《ハーンは日本語があまりよくできませんでしたから、日本で接した原話は、おもにセツの口から語られたものです。その際、たとえ文字によって書かれた原典がある場合でも、それを読むのではなく語って聞かせてほしい、とハーンは頼みました》
セツが八雲との暮らしを綴った回想記「思い出の記」には、こう記されている。
《私が昔話をヘルンにいたします時には、いつも始めにその話の筋を大体申します》
八雲が日本各地に伝承される「怪談」を、どうやって選び、どう取材し、どう書いていたかをセツが明かした秘話はこう続く。ちなみにヘルンとはハーンのことである。
《面白いとなると、その筋を書いて置きます。それから委しく話せと申します。それから幾度となく話させます。私が本を見ながら話しますと、「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければいけません」と申します故、自分の物にしてしまっていなければなりませんから、夢にまで見るようになって参りました》
現代に伝わる名作「怪談」は、こうやって八雲とセツの二人三脚によって紡ぎ出されてきたのだ。
八雲が神戸で暮らし始めてちょうど100年後。1994年、兵庫県中央労働センターの玄関前に彼を顕彰する記念碑が建てられた。
今年2024年は、この記念碑建立から丸30年という節目の年である。
さらに今年は八雲の没後120年であり、それは傑作「怪談」の出版から120年の記念の年でもあるのだ。
オーストリアの詩人で作家、ホーフマンスタールは八雲の研究家として知られ、何よりも彼のことを慕っていた。その彼が言う。
「この国を知りつくし、この国をこよなく愛したおそらくただひとりの西洋人」だと。
壮絶な幼少期を経験し、世界を放浪した八雲は神戸で日本人となり、愛する家族と安住の生活を手にしたのだった。
=終わり。次回は東山魁夷。
(戸津井康之)