12月号
連載 教えて 多田先生! 素粒子物理学者の宇宙物理学教室|〜第18回〜
地平線問題
自然界で最も大きな存在が宇宙、そして最も小さな存在が素粒子と考えられている。素粒子を研究することで、宇宙のはじまり、人間の存在を解明する︱― 日本の誇りをかけて、その最前線で日々研究に打ち込む素粒子物理学者・多田将先生。この連載で謎に包まれた宇宙について多田先生に教えていただきます。さあ、授業のはじまりです!
前回は、粒子に質量を与えるメカニズムについてお話ししました。そしてそれによって、もともとひとつだった力が、宇宙の相転移にともなって別の力に分かれていった、その「宇宙の歴史」を辿っていきました。このように、ビッグバン宇宙論は「宇宙の歴史」をうまく説明できました。しかし一方で、問題点もありました。そのままでは現在の宇宙の姿について説明できない点がいくつかあったのです。今回はその問題点についてお話ししましょう。
最初に、宇宙の空間がどのような形をしているのか、についてです。宇宙空間は三次元ですが、三次元の空間について考えるのは難しいので、まず二次元で考えてみましょう。二次元とは、面の世界です。面と言ってもさまざまで、もっとも単純な平面から、複雑なカーヴを描く曲面まであります。たとえば我々が暮らしているこの地球の表面を考えると、球の表面、球面になっています。球面は、一定の割合の曲率で曲がっていて、くるりと一周つながっています。一方向にまっすぐ進むと、もとの位置まで戻ってきます。また、ある地点から見渡せる範囲が限られています。「地平線」の向こうは見えないのです。このように、平面とはずいぶん違っています。
それでは、その空間が平らか曲面かは、どのようにして決まっているのでしょうか。実は空間というものは「かたい」ものではなく、ゴムのように伸び縮みする、「やわらかい」ものなのです。そして、その伸び縮みの具合は、空間に置いた質量(あるいはエネルギー)によって決まります。イメージとして、トランポリンのような伸び縮みする素材(ゴム)を張った上に、質量のある物体を載せた状態を思い浮かべてみてください。トランポリンの表面が空間(この場合は二次元)です。この物体の質量が大きいほど、トランポリンの表面、つまり空間は大きくたわんで、曲がってしまうのです。これをもっと物理学的に定量化したものがアルベルト=アインシュタインの一般相対性理論で、それを表わした式が、第11回でご紹介したアインシュタイン方程式なのです。それを再掲します。右辺が質量(あるいはエネルギー)を表わす項で、それによってどれくらい空間が曲がるかを示す項が左辺です。
この「トランポリン」は、実は少々くせがついていまして、物体を取り除くと反対側に反り返ってしまいます。「トランポリン」を平らにするには、あるていどの質量のある物体で押さえてやる必要があります。この質量は、「トランポリン」が大きければそれを押さえつけるのに必要な量も大きくなるので、「トランポリン」の大きさ、つまり空間の体積でその質量を割った値、密度で表わします。「トランポリン」が平面になるちょうどよい密度を、「臨界密度」と言います。「トランポリン」の上にある物体、すなわち宇宙にある物体の質量の密度が、臨界密度より大きいと、「トランポリン」、つまり宇宙の空間は曲がってしまいます。逆に、その密度が臨界密度より小さいと、「トランポリン」、つまり宇宙の空間は反対側に反り返ってしまいます。宇宙空間が平らであるためには、宇宙が重くても軽くてもだめで、臨界密度ぴったりでないといけないのです。なかなか厳しい条件です。
ということを頭に入れた上で、では、観測的事実として、実際の宇宙ではどうなっているのでしょうか。実は宇宙は驚くほど平坦なのです。なにせ、宇宙の「晴れ上がり」が観測できるほどですから、少なくともそこまでは「地平線」がないのです。「晴れ上がり」は百数十億年前のできごとですから、そこはまさに宇宙の果てに近いです。そこまでずっと平らであるということは、宇宙の密度は、臨界密度ぴったりであることになります。神が創ったならともかく、気まぐれな自然が、そんなに厳密に臨界密度ぴったりになるものでしょうか。「たまたまそうなった」と言ってもいいのですが、我々物理学者は「たまたま」などということでは納得せず、なにかそうなるメカニズムがあるはずだと、それを考え出すものです。単純なビッグバン理論だけでは説明のつかないメカニズムを。
これがビッグバン宇宙論の一つめの問題、「地平線問題」です。
「一つめ」ということはほかにもあるわけで、次の問題については次回ご説明しましょう。
PROFILE
多田 将 (ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。