12月号
近代建築の巨匠、フランク・ロイド・ライトを学ぶ|Chapter 7 ルイス・サリヴァン|平尾工務店
平尾工務店がお届けする「オーガニックハウス」の基本的な理念や意匠を編み出した世界的建築家、フランク・ロイド・ライトについて、キーワードごとに綴っていきます。
フランク・ロイド・ライトのキャリアは、とある建築家の存在を抜きに語れません。その人の名はルイス・サリヴァン。ライトが「敬愛する師」とよんだ唯一の人物です。
ライトは建築の仕事をはじめて間もない1887年、アドラー&サリヴァン事務所に就職するとここでサリヴァンに才能を見出され、オーディトリアム・ビルを皮切りに数多くの案件を担当。サリヴァンのバンガローもライトが設計します。ところがライトは事務所を通さず施主から直接仕事を受ける〝闇営業〟に手を出し、それが発覚したことから1893年に退職し独立しました。
サリヴァンは1856年にボストンで生誕。父はアイルランド、母はスイスからの移民で、少年時代は農場で過ごしました。16歳でマサチューセッツ工科大に進学するも中退、フィラデルフィアで製図工として実務を重ねた後にシカゴで腕を磨き、18歳の頃はパリで学びます。
帰国後はシカゴの建築事務所を転々として1879年にダンクマール・アドラーの事務所に入所、1881年に共同経営者となります。シカゴでは1871年の大火災の復興過程で数多くの高層建築が建てられますが、アドラー&サリヴァン事務所はその場面で手腕を発揮、劇場やオフィスビルを得意とし、その業績は14年間で100棟以上にも。この時代に高層建築群を設計した建築家はシカゴ派とよばれますが、サリヴァンはその代表格で、カーソン・ピリー・スコット百貨店やベイヤード・ビルなど、彼が手がけた建物は今なお多くの人々に親しまれています。しかし晩年は不遇で、1924年に亡くなりますが、葬儀資金はライトが援助しています。
サリヴァンは「形態は機能に従う」と説き、機能主義の先駆者とされています。この考えは弟子のライトのみならず、ヴァルター・グロピウスやミース・ファン・デル・ローエほかモダニズム建築の担い手にも大きな影響を与えました。
FRANK LLOYD WRIGHT
フランク・ロイド・ライト
1867年にアメリカで生まれたフランク・ロイド・ライトは、91歳で亡くなるまでの約70年間、精力的に数々の建築を手がけてきました。日本における彼の作品としては、帝国ホテルやヨドコウ迎賓館、自由学園明日館が有名です。彼が設計した住宅のすばらしさは、建築後100年経っても人が住み続けていることからわかります。
これは、彼が生涯をかけて唱え続けてきた「有機的建築」が、長年を経ても色褪せないことの証明でしょう。フランク・ロイド・ライトが提唱する「有機的建築」は、無機質になりがちな現代において、より人間的な豊かさを提供してくれる建築思想なのです。