11月号
連載コラム 「第二のプレイボール」Vol.9
文・写真/岡力<コラムニスト>
引退後にさまざまな世界で活躍している元プロ野球選手が経営する、阪神間の店舗・施設等をご紹介します。
Vol.9 熱血指導で多くの名選手を育成 水谷実雄さん
「西宮七園」の一角を占める閑静な住宅街、阪急甲東園駅で下車。今日の取材はいつもにまして背筋が伸びる。駅からすぐの場所にある一軒の鶏料理専門店。風情ある店内には、野球関連の装飾が一切されておらず味で勝負する経営者のこだわりが感じられる。プロ野球選手、食通に評判の「鶏処 だれやみ」は、プレーヤー、コーチとして球史に歴史を刻んだ水谷実雄さんのお店である。
宮崎県串間市出身。小学4年の時に出会った三角ベースがきっかけで野球の道に進む。中学時代の活躍が見込まれ全国の強豪が注目する中、地元の宮崎商業高校に進学。1年時からレギュラーとして甲子園の土を踏む。翌年には、エースで4番に起用され連続出場を果たした。
1966年ドラフト4位で投手として広島カープに入団。その後、肩の故障により外野手に転向した。1975年には、念願だったチームの優勝に貢献。山本浩二、衣笠祥雄と共に赤ヘル黄金期を築き首位打者のタイトルも獲得した。その後、加藤英司との大型トレードにより阪急ブレーブスに入団。移籍後も4番打者として打点王に輝くなど常勝軍団を牽引した。
引退後は、打撃コーチとして阪急、広島、近鉄、ダイエー、中日、阪神と渡り歩き多くの強打者を育成した。「かつての教え子には嫌われている。だが、嫌われるのもパワーがいります。チームの状態が悪いから呼ばれる。早急に空気を読みとり短期集中で改善を図らないと時間がないんですよ。できないことを怒ったことは一度もない。できることを怠ると・・・コラー!!!」とカウンターに腰掛け気さくに笑う水谷さん。これまでの実績に対し「選手がもともと凄かっただけ」と謙遜する姿勢に感銘を受ける。
厨房では、娘婿であり店長の鍬田一郎さんが寡黙に調理を行う。聞くと水谷さんが現役時代からいきつける愛媛県松山市の専門店で修行の末、味を継承したと言う。野球のみならず料理に対しても細部に渡るこだわり。あたりまえの努力をきちんと積み重ねた先に神は宿る。
鶏処 だれやみ
西宮市上大市1丁目11ー5
営業 17:00~23:00
定休 木曜