6月号
大不幸のあとには見違える神戸が、きっと(文・淀川 長治)|神戸っ子アーカイブ Vol.3
文・淀川 長治 (映画評論家)
「よみがえる神戸」―この題名で書けと申されたが二日たっても三日たっても書けない。がんばって今に立派に立ち直ってくださいなどしらじらしく書けるわけはない。今はチーンと沈みきったとき、それゆえガンバレの声は必要だろう。けれどガンバレなどかんたんにはそう口からでない。げんに共同通信のいかにも若い記者からこんなひどい映画館があるんですよと報告のファックスも私の手もとに送られてくる。神戸は三○才までの私の「ふるさと」。私はそのふるさとにどうしてあげようと考えこむ。八十六才では出かけていちいちお見舞いもむりだ。それでいずれ常識だがお見舞金を映画館の団体へお送りしてと思っている。
ところで、神戸だが、これは思いもかけなかった。関東大震災のときは天井からぶらさがっている電気のガラス傘がかすかにかすかにゆれた。するとすぐに号外のすずの音とともに「号外号外」の声がした。その東京が今ここにある。
神戸は日本中いちばん個性のある都市だった。この「だった」という過去形はあるわけはない。焼け野原になろうが「神戸」。そこにいる「人」は、神戸気っぷを今もやっぱり身にしませそれが「神戸の気っぷ」を、今も持っているにちがいない。神戸に日本で初めての活動写真が紹介された。明治二十九年だった。神戸はそのころ世界文化の入口だった。
それは、その気っぷ、その誇りは今もあって、私は神戸生まれ、神戸育ち、これに誰もが誇りをもっている。その神戸が焼け野原となったからとてこの神戸気質までも焼けつくすわけはない。今この目に見る神戸は残酷だ。けれど非情な言い方をして申し訳ないが、こうなってこうなるという時が神戸ゆえ必ず来るであろう。おどろく日が来るであろう。神戸はその力を持っている。神があるかどうかわからない。けれど、神戸は戦争でつぶされた都市ではない。大自然のなせるわざである。神のなせるわざではあるまいが、大自然のなせるわざ。これは、人の世の常、運命の常。それこそ神の目と神の心で、見ちがえる神戸となって生まれ変わる日が来るのだ。あの神戸と驚く日がこの大自然の大不幸のあとに来る。
去年この目で見た広島の立派さ。五年十年それが百年になるであろうとも神戸は日本一、世界注目の、神戸の個性をあふれさせた超大都市になることはまちがいない。
1995年『神戸っ子』2・3月号掲載
淀川 長治(よどがわ ながはる)
映画評論家
明治42年(1909)神戸生まれ。旧制の兵庫県立第三神戸中学校(現兵庫県立長田高等学校)卒業。映画解説者、映画評論家。番組開始から死の前日までの32年間『日曜洋画劇場(テレビ朝日系列)』の解説を務め、多くの視聴者に親しまれた。解説の締め括りに毎回強調して言う「それではまた次回をお楽しみに、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」の独特の語り口で親しまれた。平成10年(1998)逝去