6月号
神戸鉄人伝 第78回 金子 浩三 さん
ピアニスト
金子 浩三(かねこ こうぞう)さん
即興演奏を得意とするピアニスト・金子浩三さん。国内外の多彩な演奏家と共演し、絶大な信頼を得ている金子さんですが、合唱団やバレエレッスンの伴奏もお手のもので、週末にはレストランでBGMを奏でていたりします。もちろん純然たるクラシック音楽のリサイタルも行う、何とも不思議なピアニスト、金子さんにお話をうかがいました。
―音楽との出会いは?
5歳の頃、ヤマハのオルガン教室です。音符を読まず聞き覚えで弾くので、劣等生扱い。小学校時代は同級生のリクエストに応え、ウルトラマンなど流行りのテレビ番組の曲を弾いて楽しんでいました。それでも6年生から、改めてピアノを習い始めました。
―それから、音楽にのめり込んでいかれたのですね。
音符と音のつながりがわかると、がぜん音楽が楽しくなって、作曲にも興味を持ちました。中学生になると音楽雑誌を読むようになり、コンサートへ行くことも覚えました。小遣いをためて海外オーケストラのチケットを買い、「一音たりとも聞き逃すもんか」という気持ちで聴いていました。
―普通ならそのままレッスンを受けて、音楽の道へ進むのですが…。
ところが中学3年生の時に母が入院、1年後に亡くなります。しかもオイルショックで家業の鉄工所が倒産し、長男の僕は家事をしながらアルバイトもして、家族の生活を支えました。結婚式場での演奏の他にも、ミナミの店でピアニストのバイトもしました。お客さん相手に歌謡曲でも演歌でもジャズでも弾くわけですから、それはもう鍛えられますよね。でも音楽で生きていこうと思ったら、やはり専門教育は受けておかなくてはと、1年遅れで大阪音楽大学の第2部(夜間)へ進みました。
―音楽大学でも苦労されたとか。
夜間の学生でも、自力で生活しながら通っている者は極めて少なかったですね。3年目に第1部(昼間)に移ったら、周囲の学生も先生も「当たり前に大学に通える」人ばかり。働きながら通う僕は、たとえばレッスン時間を変更されると受講できなくなってしまうのですが、そういった状況をまるで理解してもらえなかった。精神的に参って1年休学しましたが、必死で立ち直って復学して、次席で卒業しました。
―卒業後の活動は?
卒業してからしばらくは実績を作るためにコンクールに出たり、リサイタルも行いましたが、今思えばしんどかった。大学院にも行かず留学経験もない僕がピアニストとして生きているということは、他の音楽家とは違う形で仕事をしなさい、ということなのかもしれないと思って、様々なジャンルの人と組んで活動してきました。
―最近、ふっ切れたとおっしゃっていましたが…。
音楽は言語と密接なものですが、日本と西洋の言語は違いすぎて、日本人がクラシック音楽で西洋人と競うのはすごくハンデがあると、常々感じていたんです。やはりネイティヴの演奏に他国人はかなわない。もし音楽が競い極めるだけのものなら、自国の音楽以外は演奏できなくなってしまう。でも音楽は、国や言語の垣根を越えて楽しめるもののはず。案外自分が身を置いてきた大衆音楽の世界は、万国人が楽しめる場なんじゃないかと、そう気付いたらこれまでのことすべてを肯定できるようになりました。
―これからはどんな活動をなさるご予定ですか?
あと2年半で還暦なので、そろそろ自分の仕事のまとめに入っているところです。教えることと「金子浩三と音楽を楽しむ会」を中心に、もちろん自身の演奏も行います。クラシックであれ大衆音楽であれ、人に楽しんでいただくことの難しさを知って、今改めて音楽を生み出す楽しさを感じているところです。
(2016年4月29日取材)
苦労人ながら、柔軟で朗らかな金子さん。異色のピアニストの、これからの仕事が楽しみです。
とみさわ かよの
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。平成25年度神戸市文化奨励賞、平成25年度半どんの会及川記念芸術文化奨励賞受賞。神戸市出身・在住。日本剪画協会会員・認定講師、神戸芸術文化会議会員、神戸新聞文化センター講師。