8月号
外国人も 暮らしやすい街・神戸 フリッツ・E・レオンハートさん
戦中、戦後の神戸の街と外国倶楽部
―神戸で生まれ育ったレオンハートさんですが、戦前の神戸の記憶はありますか。
レオンハート 私が生まれた年に戦争が始まりましたから、戦中の記憶は少しあります。空襲警報が鳴ると山の方へ逃げたことを覚えています。
―戦後の印象深い思い出は?
レオンハート 当時、居留地にあったオリエンタルホテルは日本でも最高峰のホテルでした。ジョー・ディマジオとマリリン・モンローが訪れたときに、友達と見に行きました。おそらく新婚旅行と朝鮮戦争の慰問を兼ねての来日だったと思います。モンロー人気はまだ大したことなかったのでしょうか?あまり人が集まっていなかったので、駆け寄って握手をしてもらいました。奇麗な人だなあと(笑)、いい思い出になっています。
―戦中、戦後の神戸外国倶楽部は?
レオンハート 東遊園地の南にKR&AC(神戸レガッタ&アスレチッククラブ)、その南の道を挟んで神戸外国倶楽部がありました。倶楽部ハウスは戦争中、海軍に占領された上に、空襲で焼けてしまいました。戦後、ストップしていた活動を再開しようとしましたが難しく、5年ほどたってから、土地をアメリカに売却し、そのお金で、戦後進駐軍が使用したこともあるトアホテルの跡地を取得し、それが、トアロードにある現地の神戸外国倶楽部です。1980年の最盛期には欧米人を中心に会員数約800人の倶楽部へと発展しました。
―青春時代の思い出の場所は?
レオンハート 元町商店街へはよく行きました。当時の神戸港へは船がたくさん入っていましたから、外国人の船員さんが買い物をしていました。中華料理だけでなく洋食など美味しい食べ物屋さんがあったので、私の思い出は食べに行ったことがほとんどです。買い物は大丸やそごう、それは今も同じです。マリスト国際学校へ通っていましたので須磨での思い出も多いですね。
―KR&ACでの思い出は?
レオンハート 40代半ばまでは、野球やサッカーをやっていました。メンバーには、元ヤンキースのマイナーリーグの選手やホンジュラスのサッカーオリンピック代表選手などが在籍し、結構強かったんですよ(笑)。釜本邦茂さんやネルソン吉村さんが在籍したヤンマーのサッカーチームとも互角で戦いましたからね。もっとも、親善試合なので手加減してくれていたのだと思いますが…。
75年間、住まいはずっと神戸
―社会に出られてからも、お住まいはずっと神戸ですか。
レオンハート 私はスイスの化学薬品メーカーのサンドスに勤め、入社当初のトレーニングでは1年間、その後は出張で度々スイスへ行きました。でも住まいはずっと神戸です。
―神戸の暮らしも長いのですか。
レオンハート 生まれたのは摩耶ケーブルのちょっと下辺り、その後、姉2人が通うドイツ学校があった北野町に引っ越し、戦時中に青谷に移り、終戦を迎えました。結婚して子どもも生まれ、何度か引っ越しはしましたが、一番長いのは灘区ですね。
見晴らしを楽しみながら暮らしたい
―今のお住まいに移られたのは?
レオンハート 震災で住んでいた家が少しダメージを受けました。子どもも独立していましたので、「この機会に」と、ワイフの希望で自由にデザインできる家を建てました。
―自由なデザインで最も大切にしたことは?
レオンハート 神戸に住んでいるのだから神戸らしい景色や雰囲気を実感できる住まいにする。海がよく見えるように、リビングルームとキッチン、マスターベッドルームを2階にしました。「歳とったら困るよ」などと言われましたが、健康のためにはいいですよ(笑)。景色、雰囲気を楽しみながら、生活のほとんどが2階です。
―和風の住まいの経験もおありですか。
レオンハート 母は日本人でも、父が全くの外国人で、日本の文化を取り入れようという気持ちがなかったようです。戦後、日本へやって来た外国人は日本文化に興味を持ち、日本語も熱心に勉強してコミュニティーに溶け込もうとしていますが、戦前はほとんどが自分たちのコミュニティーで暮らしていましたからね。
私のワイフはポルトガル人でしたが日本文化が大好きで、日本の絵や屏風などいろいろ飾っていました。それを知って、囲炉裏というのでしょうか、大きなものを「使いませんか?」と持って来てくれる人がいて、喜んで飾っていました。
―ご自宅にお客さまを招いてパーティーなどもされたのでしょうね。
レオンハート ワイフは料理が好きで、若い頃には、それほど大きくもない家に2、30人ものゲストを招き、床に座布団を置きブッフェスタイルのパーティーなどを開きました。よそのお宅に招かれるといろいろな国の料理が食べられて楽しみでした。
―外国人から見た、最近の日本の住まいはどうですか。
レオンハート ヨーロッパと比べてもサイズは決して引けをとらない立派なマンションが建ってきています。日本の場合は、スペースが限られているのに、細々とした部屋を多くつくる傾向がありますね。外国人から見ればもったいない。もっと部屋を大きくした方がいいのにと思います。外国人の場合は日本で住まいを購入する場合も、仕切りを取り払ってひとつにするとかね。
―日本人は当たり前だと思っていますが、確かにそうですね。最後に、外国の方にとって神戸に暮らすことの魅力をお聞かせください。
レオンハート 外国人が必要とする国際学校や神戸外国倶楽部、様々な宗教を持つ人たちのお祈りの場所がそろっています。交通の便が良く、三宮や元町など街の中心まで行けば徒歩圏内に何でもあります。暮らしやすさが魅力ですね。
フリッツ・E・レオンハート
元マリスト国際学校理事長
神戸外国倶楽部のプレジデントを長く務めた外国人ソサエティのリーダー的存在。日本最初のゴルフコースとして厳しいメンバーシップを誇る「神戸ゴルフ倶楽部」の理事、セントミカエルインターナショナルスクールのカウンシルチェアマン、カネディアン・アカデミイ理事を歴任。