12.05
WEB版スペシャル・インタビュー|
シンガー・ソングライター
イルカさん
デビュー53年目を迎えた今も、聴く者の心に響く、力強く熱い歌声は不変。現在、全国ツアーの真っ最中だ。「人生をフルコースにたとえるなら、還暦を過ぎた後は、お楽しみのデザートが待っています。今はデザートをいただいている途中なんですよ」。74歳とは思えない若々しさで、イルカは笑顔でこう語る。今春からスタートした新たなツアー『イルカコンサート~あいのたね❤まこう!~』が12月15日、NHK大阪ホールで開催される。
■『なごり雪』誕生秘話
「人気歌手の自覚ですか? デビュー当時からずっと、そんな意識などまったくなかったですね」と本人は静かに笑いながら振り返る。
だが、今から遡ること半世紀以上前…。
彗星のようにミュージックシーンに現れた女性シンガー・ソングライター〝イルカ伝説〟は始まった。
1971年、『シュリークス』でデビューし、その3年後の1974年にソロデビュー。そして翌1975年に歌った『なごり雪』が大ヒットし、イルカは女性ソロシンガーとして不動の地位を築く。
「ギターは中学時代から独学。歌もそれまで習ったことがなくて。大学(女子美術大学)では彫金を学んでいました」
その数年後に、プロデビューするとは想像もできない大学生活を送っていたのだ。
一方で、大学ではフォークソング同好会に入り、好きな音楽活動は続けていた…。
大ヒット曲「なごり雪」は累計80万枚を超えるロングセラーとなり、世代を超えて今も親しまれている。
『シュリークス』と、よく一緒に同じステージで歌っていた『かぐや姫』とは仲がよかった。『なごり雪』は、かぐや姫の伊勢正三の作詞・作曲だ。
「カバーで歌わないか?」と夫でありプロデューサーの故・神部和夫から言われたものの、「私にはとても歌うことはできない」とレコーディング直前まで断り続けていた。
最後には、「もしイルカがこの歌を好きだったら僕は歌ってほしい…」。そう伊勢が背中を押してくれた。
編曲したのは松任谷正隆。ユーミンの夫で、数々のヒット曲を手掛けた名アレンジャーとして名を馳せるが、実はこの『なごり雪』が他のアーティストのシングル曲で松任谷が編曲を手掛け初めてヒットした。
今も歌い継がれる名曲はこうして生まれたのだった。
■ツアーに懸ける思い
その後も『サラダの国から来た娘』(1978年)、『海岸通』(1979年)など数多(あまた)のヒット曲を繰り出していく。
1980年には女性シンガー・ソングライターとして初めて日本武道館でのソロ公演を成功させた。
イルカにとってコンサートツアーは今も主戦場である。
「昔は1年のうち、230~240本の公演で全国を回っていました。地方の会場へ行くと地元のテレビ局やラジオ局を訪問。公演後の夜には地元のラジオ番組などに出演していました。こんな忙しい毎日がずっと続いていたんですよ」と、まるで他人事のようにさらりと語る。
驚くことに、そんな超多忙の日々は今も変わらない。
「昨日、大阪へ入り、テレビやラジオ局で番組に出て、今日も朝からテレビやラジオで話してきたところですよ」
その日の夕方、大阪で取材した。疲れも見せず、ロングインタビューに応じてくれた後、「これからすぐに新大阪駅へ向かいます。新幹線に乗って移動します」と話すと、衣装などが入った大きな荷物を持って元気よく小走りで駆けて行った。
今春から新たにスタートさせたコンサートのキャッチコピー『あいのたね❤まこう』はどうやって生まれたのか?
「ウクライナやガザ地区での戦争や紛争、コロナ禍、自然災害……。世界中で、こんな悲惨なことばかりが続くと憎しみの感情が子供たちの心の中にも根付いてしまうのではないかと心配になります。全国に〝歌で愛の種を撒きに行こう…〟。そんな願いから、この言葉を思いついたんです。1人で思いついたから〝1人キャンペーン〟として始めました」
3年前の2021年。
デビュー50周年を飾る全国ツアーが行われるはずだった。
「コロナ禍の影響で80本くらいのコンサートがすべて中止になりました」
しかし、翌2022年から50周年として全国を周った。
「私を待ってくれているファンの人たちに感謝し、恩返ししないといけないですからね」
コロナ禍が明け、今年9月には久々に大阪城ホールで開催されたコンサート『君と歩いた青春』に参加した。
太田裕美は今回は参加できなかったが、伊勢正三、尾崎亜美、杉田ニ郎ら盟友が集い、ともに歌い大阪で待っていた1万人以上のファンを魅了した。
12月15日の大阪公演では、新曲をはじめ、『なごり雪』や『まあるいいのち』などヒット曲が披露される予定だ。
■歌い続ける覚悟…
幼いころから音楽が好きで、中学時代にギターを始めたが、女子美術大学へ進学する。
「高校三年生の夏休みに女子美へ行こうと決めました」
美大の受験ではデッサンなどが必須だが?
「そうなんです。絵画は好きでしたが、それまでまったく絵を描く勉強はしてこなかったので、母が自宅近くで芸大生たちが集まるアトリエのような場所を見つけてきてくれて」
突然の娘の〝女子美進学宣言〟に反対もせず、母は応援してくれた。
「行ってみたら東京芸大や女子美大の大学生たちが自分たちの創作活動をしながら、高校生の私にいろいろと指導してくれました」
この〝優しい女性先輩〟の通う女子美大を受験することに決めた。何人もの先輩の熱心な指導の成果の甲斐があり無事に合格する。
「物をつくる人は心が常に自由でなければならない。何者にも縛られてはいけない…」
入学式での学長の新入生激励の言葉に心動かされた。
「この大学へ入って本当によかったと思った瞬間でした」
今は客員教授として母校の学生たちを指導する立場である。
デビュー45周年の年に『人生フルコース』という曲を作った。
「若いころにメインディシュをたくさん食べたら、還暦後にはお楽しみのデザートが待っている…。人生はまだこれからです」
現在74歳。2年前、76歳で音楽活動からの引退を発表した盟友の吉田拓郎に対し、「また、いつでも復帰したら」とメッセージを贈った。
「自分がスター歌手なんて思ったことなんてないですよ」と話す謙虚な〝大スター〟がにこやかにこう宣言した。
「私は歌える限り歌い続けますよ」と。
53年目も全国ツアーに意欲を燃やす。
(文・戸津井康之)
■公演情報
イルカコンサート
~あいのたね❤まこう!~
日時:2024年12月15日(日) 16:30開演
会場:NHK大阪ホール
詳しくはコチラ
https://kyodo-osaka.co.jp/search/detail/9277