8月号
田辺眞人のまっこと!ラジオ人物事典 「神戸っ子出張版」8
ゲスト 田村洋三さん (ジャーナリスト)
パーソナリティ 田辺 眞人さん(園田学園女子大名誉教授)
天宮 遥さん(ピアニスト)
ラジオ関西・日曜朝の番組「田辺眞人のまっこと!ラジオ」の中の「まっこと! ラジオ人物事典」は、各界で活躍されているゲストを迎えたコーナーです。出張版では、その中でも特におもろいお話を抜粋してご紹介。
天宮 田村さんは読売新聞社で約30年間、社会部記者から社会部長、編集局次長等を歴任され、定年退職後は第二次世界大戦下の沖縄などのノンフィクション作品を多く出版しておられます。
田辺 その中の一作『沖縄の島守』(中公文庫)は、沖縄戦当時の沖縄県知事・島田叡さんについて書かれたものです。島田知事は神戸市須磨区の出身で、旧制神戸二中(現・兵庫高校)から東京帝大(現・東京大)を出て旧内務省に入られ、沖縄戦2ヶ月前の1945年1月末、沖縄県知事に任命されました。前任の知事は、出張と称し、本土に逃げ帰っています。当時の沖縄は前年の大空襲で、那覇市内は大部分が焼け野原で、食べ物もろくに無かったのですね。
田村 島田さんは県民の食糧確保のため、台湾へ自ら飛び、約450tの米を買いつけ、輸送船も自ら調達して沖縄に運びました。また、県民を安全な本土、台湾や県北部に疎開させ、約20万人の命を救うなど、県民の生命と安全優先の戦場行政に力を尽くしました。
田辺 沖縄で今も慕われている島田さんを書くきっかけは、何だったのですか。
田村 読売新聞では昭和50年から18年間『新聞記者が語り継ぐ戦争』という連載を続けました。住民の約6割が沖縄戦で亡くなった、南部の村を取材した時、生き残った古老から「関西の新聞社なら神戸出身の島田さんのことももちろん書かれますよね」とダメを押されたのがきっかけです。島田さんを顕彰する『島守の会』の最近の調査で、島田さんが拳銃自決されたと思われる最期の壕の位置が判り、年内にも67年ぶりの壕の特定と遺骨・遺品の捜索を行う予定です。
戦中、沖縄は本土の盾になり、県民の4人に1人が命を落とす過酷な体験をされました。本土の人間は沖縄に足を向けて眠れないはずなのに、今も日米安保の苦渋を押しつけ、平然としています。特に政治家の不勉強は目に余る。今こそ相互理解が必要で、私たちは決断力、責任感、献身など数々のモットーを、命をかけて断行した島田さんを再評価し、その心に学ばねばならないと思います。
「田辺眞人のまっこと!ラジオ」
ラジオ関西 毎週日曜日 朝10時~12時放送中