10月号
自分たちの心の風景を子どもたちに受け継いでいく
安藤 忠雄 (建築家)
前兵庫県知事・貝原俊民さんをしのぶ講演会として、7月18日、兵庫県立美術館にて建築家・安藤忠雄氏の講演会が開催された。兵庫県下の施設を多く手がけた安藤氏が、同じく神戸に多くの建築を残したW・M・ヴォーリズについて、また心の風景をもち続け、後の世代に引き継いでいくことの大切さなどについて語った。
日本一美しい街、神戸
亡くなられた貝原前知事は、国のあり方、県のあり方、自分の生き方をしっかり考えられていた方でした。私は1980年代後半から相談を受けたり仕事をさせていただいたりして、貝原さんの考え方を勉強させていただきました。
70年代から、、神戸での仕事に関わる機会に恵まれました。1977年、北野にローズガーデンという商業施設をつくりました。その際、既存の風景を壊さないように、そして壁の隙間からできる限り海が見えるように建物を設計しました。山と海に挟まれた神戸のまちの特性をいかして、ここにしかないものをつくりたいと考えたのです。
私はコンクリートの建物が多いと言われていますけれど、北野に建てるなら煉瓦にしようと考えました。人々の心の中にある風景を継承し、次の時代に残していきたいと考えたのです。建物をつくる時は、その土地の歴史や風土が持つ魅力を取り込みながら、新しい物をつくるよう心掛けています。ここでは煉瓦の壁、斜面、坂など、既にあるものをいかして新しい風景をつくろうと考えました。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災の後、被災地の復興事業に関わる中で、神戸の花と緑のまちづくりに参加しました。みんなで助け合いながら花と緑の力でまちを美しくしようという運動ですが、その地道な取り組みの結果、北野や居留地は本当に美しいまちになったと思います。おそらく日本の中でもこんなに美しい街はそうないだろうと思っています。
感動をよぶヴォーリズ建築
関西学院はウィリアム・メリル・ヴォーリズという建築家の設計です。ヴォーリズという人はアイルランド系アメリカ人ですが、宣教師として日本にやって来ますが、一度アメリカに帰って建築の勉強をし、また滋賀県に戻ってきます。そして多くの建築をつくっています。神戸女学院、心斎橋の大丸百貨店、そして阪神間の住宅などをつくりました。生活空間という視点から建物をつくり、日本の国の建築文化、住宅文化の原点をつくった人といえます。
今、取り壊しの危機に晒されていますが、ヴォーリズの建物で一番有名な心斎橋大丸も非常に素晴らしい建築です。竣工当初の意匠が残る1階や2階の部分を見ていたら、本当に感動し、幸せな気持ちになります。ちなみにこの建物を建てた当時の大丸のオーナー、下村正太郎さんは、ブルーノ・タウトという有名な建築家・建築評論家が日本に来た1923年、彼を伊勢神宮や桂離宮に案内しました。そこでブルーノ・タウトは、日本の建築は近代建築の原点のようなものだと高い評価をして、世界に発信したのです。日本の建築文化がヴォーリズやタウトから受けた恩恵は計り知れません。
神戸にはヴォーリズだけではなく、たくさんの進取的な建物があります。それは、西洋文化をうまく受け入れる力がある文化人がたくさんいたからだろうと思います。当時阪神間は大阪の船場の人たちの住処でした。働くところは船場で、住処は阪神間というケースが多く、大変生活レベルの高い人たちがいたのです。私たちも、次の世代に神戸の素晴らしい生活文化を引き継いでいかなければなりません。
原点を考え創造力を働かせる
2000年に淡路花博の会場となった淡路夢舞台をつくりました。敷地は、明石海峡大橋からすぐの海岸部に位置し、関西国際空港などの埋め立てのために山が切り崩され土が運ばれた、その跡地でした。当初、ここにゴルフ場をつくる計画がありました。しかし当時県知事だった貝原さんはたいへん先を見た方で、もうゴルフ場はいらないとおっしゃられた。それでここを国営公園にして、そこに国際会議場やホテルなどをつくることになったのです。淡路島は、日本の原点でもあるくにうみの島です。その特性をいかしながら、水と空と森に囲まれた大庭園をつくれないかと考えました。
でも当時敷地には、一本の木もありませんでした。そこに緑を取り戻すことから計画は始まります。発想の原点は六甲山でした。かつて禿山だった六甲山は、植林によって緑豊かな山になりました。六甲山で出来たのなら、ここでもきっとうまくいくだろうと。貝原さんに計画をお伝えしたところ、それで行けと言われました。そのリーダーシップに、私はついて行きました。
30万本の苗木を植え、森を育てる計画でした。建物をつくる5年くらい前から苗木を植え、建物の建設に3年4年かかりますから、合計で約10年、建物が完成する頃には森になるということでしたが、広大な敷地を目の前にして、最初はここが本当に森になるのか?と不安に思いました。しかしその後、木は順調に育ちました。
命あるものを育てるのは、根気がいります。仕事と同じで、想像力、そして忍耐力、向上心、創造力が必要です。木は植えて3年はなかなか活着せず、大きくなりません。世話は必要ですが、水を与えすぎると根が下に降りていかない。子どもと同じで、過保護は健全な成長を妨げます。この間は木も、自分はここで活着していいのか、それとも枯れてしまおうかと考えているのかもしれません。ここで生きると覚悟したらグッと伸びて来るんだと思います。
夢舞台から少し南に下った所に、真言宗本福寺というお寺があります。そこの御堂の設計を依頼されました。ここでは仏教の原点に立ち返ろうと考えました。そこで、寺院の権威の象徴である大屋根をあえて無くし、そのかわり幅40mの蓮の池をつくりました。釈迦の姿の象徴と言われる蓮が浮かぶ池の下に降りていくと、すべてが朱色に塗られた御堂があります。西から光が入ると「西方浄土」のごとく堂の中が真っ赤に染まります。これは、鎌倉時代に東大寺を再建した重源(ちょうげん)という僧が、小野市につくった浄土寺浄土堂の空間にヒントを得ています。発想の原点は、過去の空間体験の記憶から導かれることが多くあります。ですから、たくさんのものを見て、経験しておくことが大切なのです。
自分たちの風景を次の世代へ
阪神・淡路大震災の後、亡くなった人の鎮魂と、震災の教訓を忘れないために、被災地に白い花の咲く木を植える「ひょうごグリーンネットワーク」という活動に取り組みました。12万5千戸の復興住宅の数に対し、その2倍、25万本を目標にしてスタートし、それを上回る30万本の植樹を達成しました。自分が生きている限り、メンテナンスを続けたいと思っています。
自分たちがつくったものや、取り組んだもの、そして先人から受け継いだものは、しっかり次の世代に引き継いでいかなければなりません。その意味で、ふるさとの風景というものはとても大切なものです。例えば画家のセザンヌはサント・ヴィクトワール山という故郷の風景を愛し、生涯通して描き続けました。自分たちの心の風景を持ち続けるということが大事なのです。神戸は北野や居留地、六甲山や神戸港など、美しい風景がたくさんあります。しかし、愛すべき町並みは、意識をもって育んでいかなければ、いつか潰えてしまいます。貝原さんを偲ぶこの会を一つの契機として、今一度皆さんで、この街の風景を守っていくにはどうすれば良いか、考えて頂けたらと思います。それは、未来の神戸の子どもたちに対する、今を生きる私たちの責任だと思います。
2015年7月18日
兵庫県立美術館ミュージアムホール
貝原俊民さんを偲ぶ特別講演会シリーズ 第3回
安藤忠雄講演会「北野町、居留地からヴォーリズを考える」 より
安藤 忠雄(あんどう ただお)
建築家
1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、1969年安藤忠雄建築研究所設立。環境との関わりの中で新しい建築のあり方を提案し続けている。1995年より阪神・淡路震災復興支援10年委員会の実行委員長として被災地の復興に尽力。1997年から東京大学教授、現在名誉教授。2011年「桃・柿育英会 東日本大震災遺児育英資金」実行委員長