2015年
10月号
ねねの別邸跡に建てられたと伝わる念仏寺も大茶会の副席に

有馬温泉特集 〈日本最古の湯・有馬〉弐

カテゴリ:文化・芸術・音楽, 観光

太閤秀吉と二つの「湯」

 豊臣秀吉と有馬の接点は、三木城攻めに端を発する。三木は別所氏が治めていたが、天正6年(1578)より2年もの歳月をかけて、信長の重臣として天下統一を目指す秀吉はこれを攻める。
 当時は有馬も別所氏の支配下にあったが、補給路を断つ「兵糧攻め」で、有馬から三木へ通じる湯山街道はその標的となり、秀吉は有馬を重要視するようになる。
 天正11年(1583)の秋、いよいよ秀吉が有馬に入湯。以降文禄3年(1594)まで9度有馬をたずね、湯に浸かっている。秀吉が有馬に通い出した初期の頃、すなわち関白となった天正13年(1585)には阿弥陀堂の庭で大茶会を開催、石田三成・大谷吉継などの近臣や千利休、今井宗久といった茶の湯の匠が参加している。池の底に銅版を敷き、金泉に見立てるという秀吉らしい演出もあったそうだ。利休がこのとき、風炉の灰を茶会の湯から望む山の形に模して盛ったことから、その山は今も「灰形山」と呼ばれている。
 さらに天正18年(1590)まさに天下統一を成し遂げたその直後にも、秀吉は阿弥陀堂で大茶会を開く。小早川秀秋や千利休といった秀吉を支えた人物を招き、その労をねぎらった。天下人となった秀吉は、万感の思いで湯を愉しんだのであろう。
 その後も何度か秀吉は有馬を訪ねているが、慶長元年(1596)に有馬は慶長の大地震により壊滅的な被害を受ける。その際、秀吉は地震後に新たに湧き出た温泉に湯山御殿を築き、入湯を心待ちにしていたが、夢叶わず病没してしまう。その遺構は皮肉にも、再び有馬を襲った大地震、阪神・淡路大震災の復興の際に発掘され、現在は太閤の湯殿館として公開されている。
 もてなしの場として有馬の地を選び、その手段として茶の湯を選んだことからも、秀吉がいかに有馬の湯と茶の湯を愛していたかが伺える。今秋も開催される有馬大茶会は、二つの「湯」を愉しんだ秀吉の、夢の続きでもある。

豊臣秀吉像(名古屋市秀吉清正記念館蔵)


ねね像


秀吉像


太閤の湯殿館


ねねの別邸跡に建てられたと伝わる念仏寺も大茶会の副席に


秀吉が作らせたという茶釜

〈2015年10月号〉
Re Born カミネ 元町店が新しく生まれ変わりました
神戸の粋な店 吟仕込み味処 はいから
自分たちの心の風景を子どもたちに受け継いでいく
まるごと 有馬温泉 -扉-
まるごと 有馬温泉 1
まるごと 有馬温泉 2
まるごと 有馬温泉 3
有馬温泉の伝統的なお土産・民芸品
有馬温泉特集 〈日本最古の湯・有馬〉壱
有馬温泉特集 〈日本最古の湯・有馬〉弐
有馬温泉特集 〈日本最古の湯・有馬〉参
有馬温泉特集 有馬グランドホテル
有馬温泉特集 中の坊瑞苑
有馬温泉特集 月光園 游月山荘(ゆうげつさんそう)
有馬温泉特集 月光園 鴻朧館(こうろうかん)
有馬温泉特集 銀水荘 兆楽
有馬温泉特集 陶湶 御所坊
有馬温泉特集 ねぎや陵楓閣
有馬温泉特集 角の坊
有馬温泉特集 竹取亭円山
有馬温泉特集 「金」「銀」二つの名湯
有馬温泉特集〈日本最古の湯・有馬〉四 有馬は日本一古い温泉
バイパス「有馬住吉線」9月18日に開通!
有馬温泉とUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®)を結ぶ 高速バス 運行開始…
企業経営をデザインする② 関西のお茶の間のお供「鶯ボール」の伝統と挑戦
国際ロータリー第2680地区 神戸西ロータリークラブ 心の「四季節」便り
連載コラム 「第二のプレイボール」Vol.8
フェリーさんふらわあで行く 佐伯 延岡 東九州伊勢えび海道
関西の働く女性を応援し続けて10年 ACCJ関西ウォーカソン
「ギャッベ絨毯」大展示販売会10月18日(日)まで好評開催中!
兵庫県医師会の「みんなの医療社会学」 第五十四回
文化の融合が、独自の邸宅文化を生んだ 『芦屋の和洋館よとわに』
神戸のカクシボタン 第二十二回
Report KOBE 「阪神・淡路大震災20年・語り継ぐこと/ リレートーク」…
草葉達也の神戸物語
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 第70回
第二十回 兵庫ゆかりの伝説浮世絵
触媒のうた 56
耳よりKOBE 六甲山にふさわしいカレーとは? 六甲・摩耶活性化プロジェクト
NEWS 『足湯の気になるつぶやき ボランティアと専門職の連携のためのガイドブッ…