8月号
連載 神戸秘話 ⑳ ラジオ放送復活の立役者 柴田邦江さん
文・瀬戸本 淳 (建築家)
私は月曜から金曜まで毎朝、ABCラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三です」を聴いている。
阪神タイガースの試合結果も大いに気になるところだが、身支度をしながらさまざまな情報を知ることができるのがとても楽しい。ちなみにタイガースのオーナーの坂井信也さん(阪神電気鉄道代表取締役社長)は神戸高校(18回生)、神戸大学の卒業生である。
道上さんは1977年から41年間パーソナリティを務めているが、その前は1971年スタートの「おはようパーソナリティ中村鋭一です」だった。その中村さんが、自身のパーソナリティより前の1968年、柴田邦江アナウンサーに「最近アメリカで人気のモーニングDJをやらないか」と声をかけ、ABCの初代パーソナリティがここに誕生した。「柴田邦江のおはようパートナー」である。
平日の早朝に放送された生ワイド番組で、それから8年間大いに人気を博した。中でも特筆すべきは「市場便り」で、大阪中央卸売市場の入荷状況や、おすすめの鮮魚・青果を荷受の人々に電話で聞くなどして朝支度の主婦層へ新鮮な情報を提供、簡単な料理法なども紹介し、さわやかな朝の掛け合いも親近感あふれる名物として関西一円に伝わっていった。
このすばらしい番組の主役、柴田邦江さんの真のパートナー(ご主人)こそ、実は前回の神戸秘話に登場した米谷収さん(神戸一中52回生、神戸高校4回生)だ。邦江さんは1934年に生まれ、両親の仕事の関係で東京から関西へ。大阪府立大手前高校を経て京都大学仏文科に入学し、卒業後、標準語が喋れることもあって朝日放送の2回生として入社、深夜放送などに従事していた。一方の米谷さんは神戸銀行に入行、梅田支店では邦江さんの妹さんが隣に座っていた。1958年、扇千景さんと中村扇雀さん(現四代目坂田藤十郎・人間国宝)の婚約という大ニュースを邦江さんが取材することになったが、米谷さんが扇さんと高校の同期ということを知っていた妹さんを通じ、ぜひ事前に高校の頃の話を聞かせて欲しいということになり、それがきっかけでお付き合いが始まったそうだ。
二人は神戸大学経済学部の新庄博教授の仲人で挙式、後に2人の男の子に恵まれるが、「おはようパートナー」の放送開始後は隣の人に託児所へ連れて行ってもらうなど苦労を重ねた。しかしこの番組がきっかけとなり、2年後に東京の文化放送もモーニングDJを開始、日本のラジオ放送が復活したことを考えると、邦江さんはその立役者である。その間の大阪万博でも、イーデスハンソンさん、宮城まり子さんと3人で国際広場を担当していた。
米谷さんのロンドン勤務の際、退社した邦江さんはロンドンで外国人に英語を教える教師の資格(日本人では当時2人目とか)を取得したが、1990年に体調が悪化。癌が直腸から始まり全身に転移してすでに手遅れで余命1ヶ月と診断され、55歳の若さで逝去。ご葬儀には当時参議院議員だった扇千景さんと中村鋭一さんの花輪、そして邦江さんが家で英語と数学を教えていた中高生・卒業生約200名に見送られた。
お二人は夫婦別性で働かれた先駆けである。死別後28年になるが彼女を超える女性が前に現れてこなかったので、米谷さんは現在も独身を貫いている。
柴田邦江さん(右)と、ご主人の米谷収さん(左)
米谷収さんが太陽神戸銀行ニューヨーク支店長として赴任する1982年12月に、羽田空港で仲良く撮った貴重な写真の1枚
柴田 邦江(しばた くにえ)
1934年生まれ。大阪府立大手前高校、京都大学仏文科卒業。朝日放送アナウンサー2回生として入社。米谷収さんと結婚後、1968年から日本初のABCラジオのパーソナリティとして「柴田邦江のおはようパートナー」を8年間務める。米谷さんがロンドン勤務の時に、ロンドンで外国人に英語を教える教師の資格(日本では2人目)を取得して、帰国後、家で子供達に英語と数学を教えるようになる。1990年に余命1ヶ月と診断され、55歳の若さで亡くなった。
瀬戸本 淳(せともと じゅん)
株式会社瀬戸本淳建築研究室 代表取締役
1947年、神戸生まれ。一級建築士・APECアーキテクト。神戸大学工学部建築学科卒業後、1977年に瀬戸本淳建築研究室を開設。以来、住まいを中心に、世良美術館・月光園鴻朧館など、様々な建築を手がけている。神戸市建築文化賞、兵庫県さわやか街づくり賞、神戸市文化活動功労賞、兵庫県まちづくり功労表彰、姫路市都市景観賞、西宮市都市景観賞、国土交通大臣表彰などを受賞