11月号
日本の生活を大きく変えたマイルストーン
阪神間モダニズムとは一般的に、明治末期から戦前にかけて阪神間を中心に発展した近代的な芸術や文化、生活様式のことをさす。和洋の文化が融合し、快適かつセンスあふれるそのライフスタイルは、日本の生活を大きく変えたマイルストーンと言っても過言ではないだろう。
明治維新を迎え殖産興業政策を進めた日本では工業化が進むとともに、さまざまな産業が産声を上げた。その中心地だった大阪では富が集積した一方、公害による環境の悪化も進行していった。一方、神戸は開港とともに西洋文化が流入、新たな産業も生まれ活気に満ちていた。
そんな大阪と神戸の間、西宮~芦屋~灘にかけての一帯は、六甲の南斜面に陽光降り注ぎ、白砂青松の浜が広がり、豊かな自然と清澄な空気・水に恵まれていた。
ゆえにそこが憧憬の地となるのは当然であった。開発の大きな契機になったのは鉄道の開業だ。
明治のはじめに官営鉄道(今のJR)が開業して住吉に駅ができたが、明治末期なるとその周辺に富豪たちが別荘や邸宅を構え、コミュニティを醸成していく。さらに明治38年(1905)に阪神、続いて大正9年(1920)に阪急が開通すると、電鉄会社や土地開発会社が開発を進めるようになり、郊外住宅地やレジャー施設が生まれ、学校や医療機関、ホテルなどの都市機能も整備されていった。富裕層たちは環境の悪い大阪から、健康的で緑が多く、そして便利な郊外の理想郷へと移っていったのである。
阪神間モダニズムの担い手は財界人、企業家、文化人、医師など上流階級の人々やその家族が中心だった。中でも大阪から移住してきた船場の商人たちは、洗練された上方文化に神戸のハイカラな洋風文化を融合させた。接客部分を洋風に、生活空間を和風にした和洋館はその象徴といえるだろう。洋食を味わい、テニスやダンスに興じるかと思えば、茶の湯をたしなみ骨董を蒐集するなど、和洋問わずハイセンスな趣味や生活を愉しんでいたようだ。
芸術文化の花も開く。画壇では小出楢重や小磯良平、文学では谷崎潤一郎や富田砕花、音楽では貴志康一、ファッションデザイナーの田中千代など、ビッグネームは枚挙に暇がない。
阪神間モダニズムの影響はその後の全国の都市計画や生活様式、芸術文化に多大な影響を与えた。阪神間にはその遺産も数多く残っているだけでなく、今なお環境や文化、ライフスタイルのみならず、高いステイタスを引き継いでいる。