11月号
阪神間モダニズムを育んだ3つの川 夙川、芦屋川、住吉川
良好な住環境で人気が高い阪神間。中でも夙川、芦屋川、住吉川の3つの川が流れるエリアはステータスが高い。大阪と神戸という大都市の間にありながら清らかな水が流れ、鮎もみられるそうだ。また、野鳥たちがさえずり、桜や松の並木もまた美しい景観を生み出している。ゆえに、川沿いは風致地区が設けられている。
そしてこの3つの川は、阪神間モダニズム揺籃の地でもある。モダニズムの基盤となった郊外住宅地の開発の契機は、鉄道の開通であろう。明治7年(1874)、官営鉄道(今のJR)大阪~神戸間が日本で2番目に開通して住吉に駅が設けられ、まず住吉川沿いが発展していく。明治末期になると有力な財界人などが土地を求め、豪邸が建てられていった。その後も経済的に成功した者やステータスの高い者たちがここに屋敷や別荘を構え、上流階級のコミュニティが生まれ、お屋敷街が形成されていった。
その流れが加速したのは、阪神や阪急、つまり私鉄の開業だ。いわゆる「汽車」であった官営鉄道と比べ高速かつ頻発で便利・快適な「電車」という都市間交通が生まれたことで、夙川や芦屋川周辺にも郊外住宅地は発展していく。
これら郊外住宅地の住人の多くは大阪からやって来た。当時の大阪はわが国の工業を牽引して日本一の経済規模を誇り「東洋のマンチェスター」とよばれるほど隆盛を誇っていた。一方、煤煙や水質汚染などの公害が問題化し、人々は良好な環境を求めていた。阪神間はその頃、白砂青松、陽光降り注ぐ健康的な地であり、六甲の伏流水は質量ともに良好。またとない条件が揃った「理想郷」だった。
でも、なぜ川沿いが選ばれたのだろう。これは仮説だが、地形との関係かもしれない。雨によって降り注いだ水は長い時をかけて六甲の花崗岩を浸食。やがて川となってその砂礫を山から運び、扇状地を形成する。また、砂礫が川の両岸に堆積して天井川となり、小高い丘ができる。高燥な土地や川沿いの高台は爽快だ。しかも今のように周囲にビルなどない時代は視界を遮るものがなく、阪神間ならではの美しい景色を望むには最高の場所だったに違いない。
そして人は本能的に潤いを求めるもの。ゆえに3つのせせらぎが選ばれるのも合点がいく。夙川、芦屋川、住吉川一帯が得難い魅力をもつのは、今も昔も変わらないのではないだろうか。