12月号
連載 浮世絵ミステリー・パロディ ㊱ 吾輩ハ写楽デアル
中右 瑛
ボルネオで写楽の肉筆画発見!
写楽ミステリーはさまざまな幻想を呼び起こす。この奇想天外な、ボルネオでの写楽絵発見も、その一つである。
明治の末期、僻地の貧しい農家の娘さんたちが、人買いの女街に連れられ都会へと旅立った。もちろん男の慰みものとして女郎屋へ連れ込まれた。中には悪質な女街もいて、海外の女郎屋へと売り飛ばされた娘さんも多い。人呼んで「カラユキさん」。唐(外国)へ行く…を略して、そう呼んだ。
この写楽発見に、カラユキさんが絡んでいる。
『新説阿波風土記第五編・享和版阿波名所図会畸談』(昭和16年)では、ボルネオの奥地で思いがけなく出会った日本人の老女が、後生大事に持っていた「写楽肉筆画」の話が挿入されているという。
その話を、帰国した某氏から聞いた徳島の古老が、次のようなことを語ってくれた。
「それはね、昭和13、4年頃の話なんです。ボルネオ・ジャングルの奥地で数奇な運命の一人の日本老女と出会ったんですよ。老女はね、今は酋長の妻となって幸せに暮らしているんですが、もとは阿波出身のカラユキさんでね、その老女と話しているうちに、老女は不思議なことを語り始めたんです。それはね、「写楽肉筆画」を後生大切に秘蔵していることを明かし始めたんです。
老女の実家というのは、阿波でも名のある旧家だったそうなんですが、明治末期、日露戦争の頃、没落の憂き目に遭った。そのとき老女はまだ19歳だったんですが、家のため身売りされちまったんです。可哀そうにね……。九州に行くはずだったんですが、数人の娘たちと一緒に、貨物船の船底に放り込まれ、皆泣き叫んだが誰も助けには来ない。それから……長い船旅が始まって……、とうとう、南国・シンガポールへ送られたんです。あくどい人間もいるもんですよね。騙されたことを知ったのも後の祭りで、どうにも仕様がない。異国では逃げるにも逃げられない有様でね……。シンガポールの女郎屋で長い間、男相手の商売を強いられていたんです。そんな生活が何年も続いた後に、ボルネオの酋長に身請けされた。それがいまの旦那なんですよ。旦那は見かけは怖いが、とても優しいんですって……。
その老女が阿波を出るとき、家代々大切にしていた「阿波名所図会」をおばあさんからもらったんです。その絵こそ「浮世絵師・写楽」の肉筆画だというんです。ちょっとまゆつばものですがね。
某氏は、写楽だと聞いていたたまれなくなり、それを譲ってくれと頼んだんですが、聞き入れてくれなかったそうです。仕方なしにカメラに撮り、色鉛筆で走り書きにした、というのですが、それが、あまりうまく撮れなかったんですよ。阿波の風土がきれいに描かれていたそうです。しかも12枚もあった。達筆な奥付まであったんです」
そういって古老は、ポケットから某氏からもらった一枚の紙切れを私にくれた。そこには奥付が明細にメモされていたのである。それをご披露しておく。
「絵も細工物も醜なるものも醜なるままに正しく見申し候らば美なるなり、醜も美の一つに御座候。醜と拙とは同時に語るものにては御座無候。春藤の主つれづれに、この世の生ける山水、ゆく人の情を写す。主みまかりてのち、世の人の見給え、今の世の誰かこの享和の『阿波名所図会』を美と申そうや」
なかなかの名文である。ここに春藤の名が登場しているので、『阿波名所図会』の絵師は能役者・春藤家の主と解釈できる。
古老は、この不思議な話を面白そうに語るのであるが、この話は信じがたい。徳島出身と伝えられた写楽へのミステリー妄想が、こんな奇談にまで発展したのであろう。徳島ならではの写楽幻想のフィーバーぶりが知れよう。
※来年1月号からは写楽連載はいったん休止し、『平清盛』の浮世絵をご紹介するシリーズをスタートします
■中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。
1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。