2015年
1月号
平田町で数少ない戦前の洋館でもある

“上等な”暮らしではなく、“幸せな”暮らしがある 《稲畑邸》

カテゴリ:住環境, 芦屋

芦屋平田町の洋館邸宅の中で、
燦然と輝く名建築がある。
それが稲畑邸である。
戦災、震災にも耐え抜き、
約80年の歴史を刻み、凜として佇んでいる。
俳人・高浜虚子の孫にあたる汀子さんは、
稲畑家に嫁ぎ、この思い出のつまった洋館を
今もなお、守り続けている。
名建築は、思い出とともに
生き続けている。
 
稲畑家当主の勝太郎は、明治天皇の命でフランスに留学し、染料や香料など色々な分野について学び、後に稲畑産業を設立しました。昭和11年(1936)、私の夫・稲畑順三の両親である、勝太郎の娘夫婦によって、この洋館が建てられました。当時の資産家のベッドタウン・阪神間の中でも、2人がとても気に入ったのが平田町だったようです。
 昭和31年(1956)、私は24歳で勝太郎の孫・順三と結婚し、昭和55年(1980)に夫が亡くなった後はずっと、姑と子供たちとこの家で暮らしてきました。優しかった姑は平成4年(1992)に亡くなり、1000坪の土地を主人の兄弟4人で分割しました。姑が大好きだった応接間を含む現在のこの家は私が受け継ぎ、曳家工事で北へ6メートル、東へ3メートル動かして敷地に収めたものです。この家が非常にしっかりできていたこともあるでしょう。今もこの家には俳句を楽しむ方たちをはじめ、大勢の方が集まって来てくださいます。決して“上等”な暮らしというわけではありませんが、ここには私にとってすごく〝幸せな〟暮らしがあると思っています。ありがたいことです。

平田町で数少ない戦前の洋館でもある


昭和11年(1936)に建てられた旧稲畑邸
敗戦後、進駐軍の占領をまぬがれ、教会として使用された
建材はマホガニー材を使用しており、歳月とともに輝きを増す


ホトトギス社 名誉主宰 稲畑 汀子 さん

稲畑 汀子

ホトトギス社 名誉主宰
俳人。1931年生まれ。高浜虚子の孫。小学校のころから祖父・虚子と父・年尾のもとで俳句を教わった。6歳の時に芦屋に移り住む。1956年24歳で稲畑順三と結婚、現在も暮らす芦屋平田町に住む。1979年、「ホトトギス」主宰を継承し、35年間にわたり主宰を務める。

〈2015年1月号〉
特集 ー 豊かな自然と住環境を 市民自ら守る街、芦屋を歩く
芦屋を歩く(2) 日本料理 ふる里
芦屋を歩く(3) 山海百味 一駛 (ひとし)
芦屋を歩く(4) 日本料理 あめ婦
芦屋を歩く(5) レストラン あしや竹園 (ホテル竹園芦屋 直営レストラン)
芦屋を歩く(6) PAN TIME (パン タイム)
芦屋を歩く(7) アンリ・シャルパンティエ 芦屋本店
芦屋を歩く(8) 芦屋 田中金盛堂
芦屋を歩く(9) Pantry パントリー芦屋店
芦屋を歩く(10) 芦屋神社
[対談]神戸の明るい未来をめざして
阪神・淡路大震災 20年に寄せるメッセージ 2015年1月17日 神戸から
キュレーターが震災を語り継ぐ 1月17日よりスタート
新連載コラム 「第二のプレイボール」Vol.1
芦屋と平田町 そのあゆみと価値
モダニズムと和洋がオーバーラップ 芦屋ならではの建築文化が生まれた
祖父母との思い出を紡ぐ「芦屋の中の京都」平田町 《ギャラリー開雄》
“上等な”暮らしではなく、“幸せな”暮らしがある 《稲畑邸》
テニスを通して、 社会に貢献する《芦屋国際ローンテニスクラブ》
気鋭のフレンチシェフが生み出す芸術品のような一皿 《メゾン・ド・ジル 芦屋》
日本が世界に誇るマリーナ 《芦屋マリーナ》
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神戸のカクシボタン 第十三回
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