8月号

連載エッセイ/喫茶店の書斎から 123 「虚も実も」
数年前に通巻千号に達し現在も継続中の短歌誌がある。
「兵庫県文化の父」と呼ばれた富田砕花師も作品を寄せていた『六甲』だ。
その編集員の石原智秋さんから、このほど電話が入った。代表の田岡弘子さんが五月二十日にお亡くなりになったとの悲しい報せだった。
九十二歳というご高齢ではあったが、五月号にも作品を載せておられた。わたしはにわかに信じることができなかった。実はつい最近、田岡さんのことを拙ブログに記したばかりだった。
古書店で入手した昭和五十四年発行の文化雑誌『半どん』についてのこと。以下ブログの要約。
※ ※
そこに若き日の田岡弘子さんの短歌が載っていたのである。五首のうち三首。
身を細う入れたる傘にひびきつつ夜乱るる雨と思えり
すさび降る雨とも思う傘の柄をおのず伝いてわが手ふるうに
灯の色の雨を浴びつつわたりゆくひとのかなしき脚を見ていつ
いかにも正統派の美しい短歌だ。
昭和五十四年といえば四十七年も前のこと。当時四十五歳の田岡さんは、次のような短歌への思いの文章を添えられていた。
「情に掉さして」流されてゆくような、そんな愚かな生身の人間であり、女であることのかなしみを、只ひたすらに歌って参りました。
〝わが心にも雨ぞ降る〟巷に降る雨も又、私の心にさまざまの情を抱かせるのでした。
いつか歌を―はかない生の一つのすさび―と達観できるようになりたいと、しきりに思うこの頃なのですが―。
この時から四十七年後の最近号「六甲」の田岡さんの短歌。八首のうち三首。
ホルムズ海峡解決まだか日にいくたびニュースに読めばムズムズとなる
わが行くを恵方の道と決めてよりエッホウエッホウかけ声聞こゆ
獲れたての魚を買ひに来し魚の棚この頃ふえし玉子焼きの店
短歌門外漢のわたしが言うのはおこがましいが、昔に比べてすっかり作風が変わっておられる気がする。
〝達観〟されたのではないだろうか。
※ ※
このブログを書いた後、わたしは田岡さんにこの記事のプリントを添えて手紙を差し上げた。ところがお返事はなかった。
最近はご高齢ということもあってか、わたしが出した便りへの返事をいただくことは少なくなってはいた。なので「いつものことだ」とあまり心配はしていなかったのだ。
まさかこれが最後の便りになってしまうとは。
「六甲」誌にわたしがエッセイを書かせて頂くようになったのが、二〇一六年五月号からだった。詩人の鈴木漠さんの推薦によるもの。以来、奇しくも丁度十年。
田岡さんには大いにお世話になったのだ。わたしが書くものを「読み易くて、いい文章」といつも評価し励ましてくださっていた。
一昨年、わたしとドリアン助川さんとのコラボレーションによる朗読会をわたしの住む町で催した時、出にくい中をわざわざ明石から来てくださった。あの時の御恩はまだお返し出来ていない。心残りだ。
田岡さん、十年間、大変お世話になりました。心より深く御礼申し上げます。
長く「六甲」を守って来られました。伝統ある結社を背負って、さぞかしご苦労があったことと思います。
どうか、ゆっくりとお休みください。心よりご冥福をお祈りいたします。
ちゆうりつぷの花を覗けばがらんどう
虚も実も白昼の夢
田岡弘子歌集『虚も実も』より。

(実寸タテ19㎝ × ヨコ8.5㎝)
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・代表者。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。












