10月号

連載エッセイ/喫茶店の書斎から 125 非核
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
我が家からJR西宮駅までの道筋に「西宮市総合福祉センター」がある。
戦前には西宮高等女学校というのがあった場所だ。関西の才媛を集めた学校だったと聞く。作詞家の岩谷時子の出身校であり、歌人の与謝野晶子は、夫の与謝野鉄幹と共に訪れ、校歌の作詞者である。
現在の最寄り駅はJR西宮だが、2001年までは阪神西宮東口というのがあった。西宮の東の入口というわけだ。普通しか止まらない小さな駅だったが、西女(西宮高等女学校)があったころは、西宮で最も賑やかな駅だったと聞く。
武庫郡役所があり、徴兵検査もここで行われたという。当時は通勤客や女学生で大いににぎわったそうだ。
西女は昭和20年8月6日の空襲で、バルコニーのある立派だった木造二階建て校舎が全焼。後、ここに再建されることはなく、市内の別の場所での復校となった。
その後この地はいくつかの変遷があって現在の福祉センターとなった。
この地にまつわる悲しいエピソードがある。拙著『コーヒーカップの耳』より。
「コスモス」
夜中にスコップかついで行くんや。サツマイモ掘りに。ほんで 袋いっぱいに詰めて持って帰って開けたら 骨が混じっとってなあ。女学校の跡やってな そこで空襲で焼け死んだ人を よおけ焼いたんや。そのあとにイモ植えてたんや。そやから骨がコロコロ混じっとってからに。気持ち悪いから骨は返しに行ったけど イモはみんなで食うたで。腹減ってたからなあ。その秋は きれいなコスモスがよおけ咲いてた。ええ肥料になったんやろなあ。
その福祉センターの前のサツキの植え込みに、隠れるようにして小さな碑がある。歩道に面しているのだが、歩く人はだれも気付かない。
高さ数十センチの小ぶりな碑だ。
「平和非核都市宣言」の碑。
福祉センターがオープンした1985年に設置されたと思われる。長年の風雨に耐えてきたせいか、文字がいささか読みづらくなっている。顔を近づけて読んでみた。ここには正確を期してネットで公表されているものより全文を引く。
青い空、緑の大地、そして、おだやかな暮らしは、
わたくしたち西宮市民のみならず、
平和を愛するすべての人の願いです。
そんな平和への願いとはうらはらに、
世界はおろかにも人類を何十回も滅ぼすほどの核兵器を蓄積しました。
核戦争に未来はありません。
恐ろしい核兵器をつくってはならないし、
持ってもいけないし、持ち込ませてもなりません。
わたくしたちは、世界中に核兵器の廃絶を強く訴えるとともに、
平和を愛する社会をはぐくみ、築くことを誓い、
平和非核都市をここに宣言します。
昭和五八年一二月十日
西宮市
ここに設置されたのは昭和60年だが、この宣言が西宮市議会において、全ての会派による全会一致の賛成で可決されたのは昭和58年のことだった。
この時、熱心にこの運動を進めていた市議会議員の一人が、現在俳優として活躍する生瀬勝久の母親の生瀬悦子さん。最近テレビ番組「ファミリーヒストリー」でも話題に上がった人だ。
さて与謝野晶子が作詞した西女の校歌だが、詞の中にこんなのがある。
《ああ大御代の少女にて 共に凛々しき姿あり 西宮なる高女生 学ぶ我等の気は揚がる
我等の愛は限りなし 自然 道徳 学の愛 家庭 交友 國の愛 國の内外の人の愛》
与謝野晶子さんには悪いが、「平和非核都市宣言」の方がよほど格調が高い。と、わたしは思う。

(実寸タテ11㎝ × ヨコ15.5㎝)
六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・代表者。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
今村欣史(いまむら・きんじ)
兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。












