10月号
坂道のベルタワーから響く鐘の音は六甲の象徴 「カトリック六甲教会」|関西屈指の文教地区、六甲界隈
灘区赤松町、神戸大学や神戸松蔭女子学院大学、六甲学院中学・高校など、文教地区である六甲を代表する学び舎に続く中心的な坂道の“入り口”とも言える地に建つのがカトリック六甲教会。1956年完成のベルタワー(鐘楼)、ドーム型の聖堂、春に咲き乱れる敷地内の桜、そして昼と夕方に鳴る美しい鐘の音は、六甲地区の象徴として親しまれている。
六甲学院との深いかかわり
カトリック六甲教会は、現在の聖堂の前身である木造の聖堂が昭和28年(1953)に、今の赤松町の場所に完成した。それよりも先、昭和12年(1937)に、イエズス会による日本で最初の中等学校である六甲学院中学が六甲山のふもとに開校。生徒や保護者の中には、その教育に感銘を受けてカトリック信者となる者が多くいて、彼らを受け入れる共同体を近くに創ることを目的に六甲教会が創立された。教会の共同体自体の発足は昭和14年(1939)、太平洋戦争が起きた年。「聖堂の完成前は、近隣に住む信者の自宅を借りてミサなどを行っていたようです。今の聖堂があるこの場所は、当時は畑だったと、その頃を知る方がお話しされていました」と、現在の主任司祭は話す。
そもそも日本で最初の中等学校を開くにあたっては、広島など他の西日本地域の候補地も挙がっていたが、大正期に創立した小林聖心女子学院(宝塚市)のシスターが「ぜひ近くに開校してほしい」と願い出たため、神戸・六甲の地が選ばれたとか。さまざまな人の信仰への熱い思いが、文教地区・六甲を創り出したと考えると感慨深い。
花に囲まれ立つマリア像
初代聖堂の完成から3年後に、ベルタワー(鐘楼)が完成。信者も次々に増え、教会40周年を迎える頃には老朽化した木造の建物が倒壊の危険もあるとして建て替えの計画がスタート、平成6年(1994)には新しい聖堂の起工式が行われた。その翌年、平成7年(1995)に阪神・淡路大震災。しかし、六甲地域では被害が少なかったこともあり、建て替え予定だった木造聖堂もベルタワーも無事だったという。当初から建て替え予定だった聖堂は、震災の年の11月には完成、献堂式が行われた。初代の木造聖堂から一転し、近代的なドーム型の聖堂は、頭上からやわらかく光が射し込み、静謐な空間が創られている。ヨーロッパの古い教会に見られる前後に長い聖堂ではなく、人々が祭壇の周囲に集う形の聖堂なのは、カトリックではミサは『最後の晩餐』に象徴されるような食事の席と考えられており、人が円形に集まるようなスタイルが近年の教会では多いのだとか。
一方でベルタワーは昔のまま残されている。ベルタワーのもとにはベルギーから贈られたマリア像が立つ。「ベルギー市民から、震災で大きな被害を受けた神戸に心を寄せて、寄付されたマリア様の像です。六甲教会にというより神戸市民のためにお祈りをしていますという心の寄付なので、市民の皆さんに広くご覧いただけるように、教会の外に置かれているのですよ」と主任司祭。
人々に愛される鐘の音
鐘の音は毎日、昼の12時と夕方の6時に鳴り響く。朝昼晩のお祈りの時間に鐘を鳴らすのはヨーロッパのカトリック教会の伝統である。その他、結婚式やお葬式が行われる際も鐘が鳴る。「先日もね、いつも遠くで聴いている鐘の音がどこの鐘の音なのか、見に来ましたといって来られた親子がいましたよ」と、主任司祭が言うように、広く鳴り渡る鐘の音は人々に愛されている。カトリック六甲教会では地域に住む人々にも教会を開放できるよう、夏に「納涼の夕べ」を開催したり、美しい音色のパイプオルガンがある聖堂でのチャリティコンサート、バザーなど、信者以外も参加できる催しを企画している。クリスマスのミサは信者以外も多くの参加があり、結婚式を希望する人も多い。毎週日曜日の主日のミサ(朝7時と10時)への参加をはじめ、聖堂の見学など、教会はいつも、一般に開放されている。
75周年に向けて、教会の歴史を後世に残したい
教会のある六甲の印象は、と、主任司祭や信者にうかがうと「静かな住宅街。阪急六甲は三宮にも、梅田にも近いので、教会までの坂道さえ元気に上れれば、とても便利」とのこと。電車に乗って来る信者も多いが、六甲の近所に住む信者さんが多いのも六甲教会の特長らしい。教会には現在約2千名の信者が在籍する。
来年は六甲に初代の聖堂が完成してから70年の節目を迎えるカトリック六甲教会。続く75周年に向けて記念誌などの計画もあるそうで、今は、昔の教会を知る人にインタビューをして、情報を集めているという。人が生きた歴史や、体験を後世に残していきたいというのが願いだそうだ。
■カトリック六甲教会
神戸市灘区赤松町3-1-21
TEL 078-851-2846