10月号
英国と神戸 Vol.4 日本における初の近代洋服「神戸洋服」というブランドとして愛された
JAGUAR/LAND ROVER Presents
英国人カペル氏が居留地16番館に日本最古の近代洋服の店を開いたのは、明治2年(1869)のことだった。次いでスキップ氏が30番館に開業すると、彼らのもとには技術を学ぶために日本人技術者が集まり、次々に開業した。庶民はまだ和装の時代。タキシードやビジネススーツなど洋装で出掛ける場がどんどん増えていった当時、洋服店(テーラー)には注文が殺到したという。神戸近代洋服隆盛の基盤は、ここに築かれたといってもよい。
現在、元町商店街4丁目に店をかまえる柴田音吉洋服店は、明治2年に起業の日本人最初のテーラー。初代はカペル氏の一番弟子として技術を学んだ後、明治16年(1883)合名会社とした。現在の社長である5代目柴田音吉氏によると、初代は近江商人で、これからは洋服の時代だといって神戸にやってきたという。初代は、当時兵庫県知事であった伊藤博文公のフロッグコートをはじめ、明治天皇陛下の御召し服も手がける天才的な技術者であったといわれる。柴田音吉洋服店は、現在もハンドメイド紳士服を承るテーラーの看板を掲げている。注文を受け、すべて自社工場で縫製する、数少ないテーラーである。
神戸洋服商工業協同組合が結成された明治25年(1892)頃の神戸港は、海外の玄関口となり、ヨーロッパ先進国の流行がそのまま上陸してきた地だった。特に紳士服は、民間ファッションの最先端として注目を集め、神戸で作られた洋服「神戸洋服」という名称が、洋行帰りの人々に語り継がれ国内に広まった。
そんな神戸洋服の歴史を顕彰しようと、昭和49年(1974)東遊園地に「日本近代洋服発祥の地」記念碑が建てられた。洋服を作る際のみごろと袖の型紙をモチーフにつくられたユニークな彫刻。約150年前に英国人が授けた技術が、神戸には今も静かに残っている。