10月号
interview 神戸ブランドで共生を
和田興産株式会社 代表取締役会長
和田 憲昌さん
─企業理念の共生は「きょうせい」でなく「ともいき」とよぶようですが、なぜですか。
和田 『共生』(ともいき)とは、仏教用語です。天上天下唯我独尊、即ち世の中で一番大切なものは自分自身であると思うなら、人のために尽くさなければならない。これが『共生』の基本理念です。自分が幸せを求めるなら他人にも幸せを尽くしなさいと、人生の師である禅宗の僧侶から教わりました。
─昭和41年に和田興産に入られたのですよね。
和田 もともと家業として土地をお貸ししていましたが、私が事業化しました。以降、試行錯誤を繰り返しながら七転八起で続けてきました。実際はまだ4.5転、5.5起に挑戦中です。
─ブランド名「ワコーレ」の由来は。
和田 実は、今まで2回ブランド名を変えています。最初は「メイクアップハイツ」。当時、洗車事業を展開するにあたり、車を洗う、即ちお化粧をする意味を込めて「メイクアップ」と名付け、マンション名にも利用しました。しかし、「メイクアップ」という名称は中古再生事業と勘違いされることもあったのです。そこで、「ワコーハイツ」に変更しました。
その後、住宅の意味を持つ「レジデンス」とかけて現在の「ワコーレ」になりました。「ワコーレ」ブランドを本格的に開始した1991年、土地神話が崩壊し、不動産業全体が様変わりしました。そのとき、中内㓛先生が「マチのほっとステーション」というCMで、必ず街角にローソンの店舗を設置されていたのをヒントに、当社も住宅地図1ページに1棟ずつマンションを建築しようと思いつきました。
中内先生の経営塾「中内学校」で経営学を学んでいましたので、中内式発想を拝借したわけです。ただ、この発想を活かせたのも資金がなかったから(笑)。広告宣伝に使うお金がありませんでしたから、1軒1軒にチラシを足で撒くしかなかったんです。
─阪神・淡路大震災の影響もあったのではないでしょうか。
和田 当社の分譲マンションに入居しているお客様には絶対に二重ローンにさせてはいけないと、建て直しや補修の対応をしました。その時はただお客様をお助けしたいとの想いだったのですが、和田興産は全て補修してくれると評判が評判を呼ぶ結果となりました。
今回の東日本大震災では、義援金等を通じて恩返しさせていただいています。
─現在はマンションのみならず、戸建てや賃貸もされていますが。
和田 戸建てブランドは「ワコーレノイエ」です。「ノイエ」はドイツ語で「新しい」という意味ですが、つなげて読むと「ワコーレの家」と上手くできた名前です(笑)。土に住むことへの回帰ということで近年再開しました。
賃貸事業は、本来インフレ時の事業です。家賃が上がる、土地も上がる、だから収益も上がるわけです。現在はデフレで、家賃や土地の値段が下がっているので、事業としては手を出さないほうが良いのかもしれません。しかし、現在約4割の方が賃貸住宅を希望していらっしゃいますので、当社は収益が下がるからといって事業をやめることはできません。
─和田会長は慶應のご出身で、神戸慶應倶楽部の会長もされましたが、関西不動産三田会も結成されたとか。
和田 来年20周年ですから、結成は1992年です。当時、東京にはすでに不動産三田会があり、関西でもという声に応えました。当時はバブル崩壊後で不動産業界が低迷していたこともあり、不動産・建築関係の交流を深める良いきっかけになればと考えました。現在も活動は続いていて、世代を越えていろいろな方に入会いただいています。慶應は横のつながりが強く、「3人いたら仲間づくりをする」と言われていますしね(笑)。横のつながりといえば兵庫高校もそうですね。兵庫高校の同窓会「武陽会」の理事長もさせていただいています。
─最後に、若い人に仕事探しについてアドバイスを。
和田 今、金融と情報が進み過ぎて実体経済が遅れているように感じています。金融のみで解決しようとすると、誰かが儲かる一方で、どこかで無理が生じる可能性があります。これからは実体経済を通じて売る価値や使う価値を分かち合う世界が大事になってきます。実体があれば、モノやサービスそのものに価値があります。ですから、モノづくりに関わることのできる仕事を選んでほしいと思います。
和田 憲昌(わだ のりまさ)
和田興産株式会社 代表取締役会長
1962年、慶應義塾大学法学部卒業。同年、三ツ星ベルト株式会社入社。1966年、和田興産有限会社専務取締役。1979年、和田興産株式会社に改組、専務取締役。1990年、同社代表取締役社長。2008年、同社代表取締役会長。