7月号
音楽の種子、蘇生する歌。|尾崎裕哉コンサート情報
音楽の種子、蘇生する歌。
INTERVIEW 須藤晃(プロデューサー・音楽監督)
interview&text:末次安里
2016年秋に催された『尾崎裕哉Premium Concert-「始まりの歌」-』と『尾崎裕哉 premium ensemble concert』のセットリストを再見していて、《27》という曲名に改めて眼が吸い込まれた。
「父親が26歳で死んだので…26を裕哉はすごく重要な齢と考えていたんだけど、今度の7月24日の公演当日(@東京芸術劇場)がちょうど誕生日ですので、尾崎裕哉は29歳になるんですね」
須藤晃氏の言葉を聞いて合点がいった。言わずと知れた故・尾崎豊の音楽制作パートナーにして、本公演の音楽監督だ。
「つまり、最近の裕哉は“父親が生きなかった齢”を生きているんですね。花の中でも格別美しい花が枯れてしまって、早27年が過ぎた。それでも神様って不思議なものでね…同じ種を持つ裕哉がまた花を咲かせる。尾崎さんを知らない世代も裕哉の存在に興味を惹かれて、今度は遡って父親にも興味を持つんだから不思議ですよね」
2歳で父を失くした裕哉には面影の記憶が微塵もない。が、容姿の相似よりも「共通する気品」と「仕草や口癖が似ている」と、須藤氏は語る。
「僕が熱心に話していると『あ、なるほど、なるほど』と応じるのが尾崎さんの口癖でね。彼の記憶もなく、真似しようもないのに裕哉の口癖が同じだったので驚いた…」
15歳までは法事も一時帰国で参加した。毎年一枚のアルバムが選ばれて、墓参りに向かう車中で流された。裕哉の最初の記憶が『十七歳の地図』だという。命名者の須藤氏が、豊/裕哉を語る。
「裕哉が考えている以上に“尾崎豊”は日本人の心の中にいるんですね。もちろん、好きな人もいれば嫌いな人もいる。でも、“嫌い”というのは“好き”と同じことなんですよ、僕に言わせれば。要は全く関心のないという人はいない。伝統芸能のようなものなんですよ、尾崎豊というのは」
東京芸術劇場と兵庫県立芸術文化センターで、尾崎裕哉が新たな海図を拡げる。尾崎印の帆を靡かせる、そのオリジナルな風の強度は、どんな響きで聴衆を揺らすだろうか。
(協力 intoxicate)