7月号
聴いていて心が温かくなる。そんな音楽を続けています|音楽の似合う街、神戸
モダンタイムス・ビッグバンド ピアニスト
高橋 眞治 さん
ジャズ発祥の地・神戸を代表するアマチュア・ジャズ・バンド「モダンタイムス・ビッグバンド」。
33年間にわたり、アメリカの古き良き時代のサウンドを追求し続けています。
結成当時からのメンバーの一人、高橋眞治さんにバンドのことやジャズのことなどお聞きしました。
―モダンタイムス・ビッグバンドはどういう経緯で発足したのですか。
日下雄介さんと私は、あちこちで顔を合わせる音楽仲間でした。私が、元町のライブハウスでソロピアノを弾いたときに、一人ではつまらないから日下さんに「サックス吹いてよ」と頼んだんです。そうしたら他のプレーヤーも集まってきて、6人で「じゃあ、みんなでやろうか」ということになり小規模編成で演奏したのが始まりです。当初のメンバーは今もみんな元気ですよ、もう年寄りですけどね(笑)。
―その後、1985年にビッグバンドを編成したのですね。
だんだんメンバーが集まってきたので「モダンタイムス・ビッグバンド」を立ち上げました。演奏するのはずっと、カウント・べイシー、デューク・エリントン、少し時代をさかのぼってベニー・グッドマン、トミー・ドーシーなどに代表されるビッグバンドジャズです。1935年にラジオ放送が開始され、音楽が一気に幅広く広まったアメリカの一番いい時代の音楽です。
―神戸のジャズは、どんなジャズですか。
流行にとらわれることなく、自分たちの音楽を演奏しよう!というのが神戸のジャズですね。私たちもそうですが、もうひとつ前の時代のデキシーランドジャズがその先駆けだと思います。日本では戦時中、一旦ジャズが演奏されなくなり、戦後、進駐軍キャンプから再燃します。神戸ではそんな中、関西学院大学の学生たちが日本初のアマチュアバンド「デキシーランド・ハートウォーマーズ」を1953年に結成します。当時「西の帝劇」と呼ばれた新開地「聚楽館」にジャズの神様〝サッチモ〟ことルイ・アームストロングが公演で訪れたときに、自主製作の音源を持って楽屋に押しかけ、サッチモが「オーワンダフル!」と言ったとか(笑)。その後も「ハートウォーマーズ」は、関西の学生を中心にニューオーリンズのオリジナルジャズスタイルを続けます。その頃のメンバーの一人に先日亡くなった小曽根実がいました。彼らの意思は「ハートウォーマーズ」「リバーサイド・ランブラーズ」「ロイヤル・フラッシュ・ジャズバンド」へと受け継がれ、時代に流されずデキシーという自分たちのスタイルを守っています。その後に続いた私たちも、スイングジャズ、モダンジャズという自分たちのスタイルを守っています。
―33年間、続けてこられたわけは?
来るものは拒まず、去る者は追わず。自由なのがいいのでしょうね、いい加減ともいえるかな(笑)。メンバーがそれぞれ少編成のバンドをもっていて、いろいろなところで演奏したり、いろいろなことに挑戦したり、集まって来たらビッグバンドで演奏したり、そういう形態を取っています。本来、音楽は自由なものですからね。現在メンバーは20人ほどでしょうか、私たちのような年寄りもいれば、若い人たちも入ってきてくれています。通常、ソロはベテランと決まっているものですが、曲選びではみんなにソロをもたせる構成を心がけています。私が作った曲も100以上あるのですが、バンド用にアレンジするときには一人でも多くのメンバーにソロが回るようにしています。ステージに立ちたい、立つからにはソロを取りたい。みんな、そんなふうに思っていますからね。その時は失敗しても、それがいい経験になります。
―昔に比べると神戸の音楽環境も変わってきたのでしょうね。
私たちが音楽を始めたころは、ミュージシャンで生活ができるような時代でした。今はプロもアマチュアも演奏する場所が少なくなってきました。音楽をやりたいという気持ちを支援できるといいのですが、なかなか難しいのでしょう。私たちは常にウェルカム。アンサンブルすることでパワーが大きくなります。
―これからもずっと続けていけたらいいですね。
何としてもバンドを存続させたいという思いはないですが、これからも、耳に入りやすくて聴いていて心が温かくなる、そんな音楽を続けていきたいと思っています。
Profile
モダンタイムス・ビッグバンドの創設者の一人。学生時代からBill Evans、Red Garland、Sonny Clark等のModern Jazz Pianist に傾倒。以降数十年間、関西の数々の名門Jazzクラブ、ラウンジ等のハウスピアニストを務める。㈲高橋建築事務所の代表であり、本職である高層ビルや公共建築の設計のかたわら、いくつかの Jazz Spotの内装設計も手掛ける