1月号
“上等な”暮らしではなく、“幸せな”暮らしがある 《稲畑邸》
芦屋平田町の洋館邸宅の中で、
燦然と輝く名建築がある。
それが稲畑邸である。
戦災、震災にも耐え抜き、
約80年の歴史を刻み、凜として佇んでいる。
俳人・高浜虚子の孫にあたる汀子さんは、
稲畑家に嫁ぎ、この思い出のつまった洋館を
今もなお、守り続けている。
名建築は、思い出とともに
生き続けている。
稲畑家当主の勝太郎は、明治天皇の命でフランスに留学し、染料や香料など色々な分野について学び、後に稲畑産業を設立しました。昭和11年(1936)、私の夫・稲畑順三の両親である、勝太郎の娘夫婦によって、この洋館が建てられました。当時の資産家のベッドタウン・阪神間の中でも、2人がとても気に入ったのが平田町だったようです。
昭和31年(1956)、私は24歳で勝太郎の孫・順三と結婚し、昭和55年(1980)に夫が亡くなった後はずっと、姑と子供たちとこの家で暮らしてきました。優しかった姑は平成4年(1992)に亡くなり、1000坪の土地を主人の兄弟4人で分割しました。姑が大好きだった応接間を含む現在のこの家は私が受け継ぎ、曳家工事で北へ6メートル、東へ3メートル動かして敷地に収めたものです。この家が非常にしっかりできていたこともあるでしょう。今もこの家には俳句を楽しむ方たちをはじめ、大勢の方が集まって来てくださいます。決して“上等”な暮らしというわけではありませんが、ここには私にとってすごく〝幸せな〟暮らしがあると思っています。ありがたいことです。
稲畑 汀子
ホトトギス社 名誉主宰
俳人。1931年生まれ。高浜虚子の孫。小学校のころから祖父・虚子と父・年尾のもとで俳句を教わった。6歳の時に芦屋に移り住む。1956年24歳で稲畑順三と結婚、現在も暮らす芦屋平田町に住む。1979年、「ホトトギス」主宰を継承し、35年間にわたり主宰を務める。