5月号
御影には、人と人の「絆」がある|今も神戸に生きる 平生釟三郎の精神
御影の地で創業以来150年近くの歴史をもつ高嶋酒類食品㈱。「甲南漬資料館」として使用される洋館は、国の登録有形文化財に指定されている。4代目当主として家業と文化的財産を守る高嶋良平さんに、御影の思い出、甲南学園のことなどお聞きした。
歴史ある家業と文化財を守る
―高嶋酒類食品の歴史は?
高嶋本家は酒造りをしていたのですが、明治3年(1870)、分家し、みりんと酒粕を原料とする焼酎を造るようになりました。昔は女性が清酒を飲むと「はしたない」と言われ、みりんは女性の飲み物だったようです。焼酎の原料の仕入れでは灘五郷の造り酒屋さんと取引がありましたが、明治37年頃、戦勝に沸く日本は酒を増産し始め、酒粕もたくさんできて余ってきました。引き取ってもらえないかと頼まれ、在庫がどんどん増えました。そこで当時、大阪にしか無かった奈良漬け屋さんに行き、作り方を習ったようです。豊富な酒粕で作る贅沢な奈良漬けでしたので、「美味しい」と評判になりました。
―高嶋家はずっと御影にお住まいですね。
阪神・淡路大震災後、「甲南漬資料館」として使用している洋館に元々は住んでいました。国から登録有形文化財に指定されています。昭和8年(1933)に竣工した御影公会堂と同じく、神戸市営繕課にも勤めていた設計士の清水英二さんの手によるものです。元を辿ればフランク・ロイド・ライトの流れを汲む設計士だったようですので、阪神間モダニズムを感じさせる建物です。魚崎小学校校舎もあったのですが、震災で建て替えになってしまいました。
―文化的財産をずっと守り続けておられるのですね。
建設する時に「地震と火事に強い建物にしてほしい」と希望したと聞いています。ですから鉄筋で、非常にしっかりした基礎の上に建てられており、木造部分は震災で潰れてしまいましたが、洋館はしっかり残りました。「こんなにありがたいものを残してもらったのだから、地震に負けてなんかいられない。建物も甲南漬けも、私が守り続けなくてはいけない」と思いましたね。
祭りで培ってきた人と人の「絆」
―御影の良さはどんなところですか。
お祭りかな(笑)。私はだんじり祭りが大好き。御影には「だんじりミュニケーション」があるお陰で、ずっと人と人との「絆」がありました。震災後も助け合うのが当たり前で、「自分さえ良ければいい」という話はなかったですね。
―御影のだんじり祭りは盛大ですね。
だんじりは弓弦羽神社に8基、綱敷天満宮に2基、我が地区には東明八幡神社に1基、全部で11基あります。みんな「うちのだんじりが一番!」と考えています(笑)。しかし、震災後は「御影はひとつ」と、11基が一堂に会するパレードが発案され、大規模に始まりました。だんじりは街中にある郷土芸能のひとつですから、次の世代に伝えていくことが青少年育成のためにも重要だと思っています。
いい友達といい先輩に会えた甲南時代
―小学校は地元で、中学校から甲南に?
はい。120年の歴史をもつ〝名門〟御影小学校出身です(笑)。中学から「ぼんぼん学校やなあ」と思っていた甲南中学校に進みましたが、過ごしてみると「徳育、知育、体育」という理念を掲げ、個性を尊重してくれて自由に学べる学校でした。私は「体育」に専念し、中3まで柔道部、高校では陸上ホッケー部で3年連続インターハイに出場しました。実は当時、県内に陸上ホッケー部はひとつしかなく、予選もなし(笑)。そして体育に打ち込み過ぎ、高校時代をゆっくり過ごしました(笑)。
―今、感じておられる甲南で過ごしたことの良さは。
いい友達、いい先輩ができたことです。必ずしも商売繁盛には結びついてはいませんが、人間的に魅力的な人が多く、学ばせていただくことがたくさんあります。
文教地区の礎を作った平生釟三郎
―地元にとって、平生釟三郎先生の功績は大きいですね。
そうですね。幼稚園、そして小学校、中学校、旧制高校をつくったのですから。伊藤忠兵衛さんの助力も大きかったようです。阪神間では甲南幼稚園から中高大まで卒業した者を〝甲南漬け〟などといいますが、甲南漬を作っている私は「正真正銘甲南漬け」と冗談を言っていたら、「私、生まれたのも甲南病院です」という後輩がいて、「正真正銘」は返上しました(笑)。学校だけでなく、病院も平生先生の功績のひとつですからね。その他にも、ブラジル移民が作る綿花を輸入する道を開いたり、神鋼病院の開設に尽力したり、あまり知られていない功績もたくさん残しておられます。
―文教地区の礎を作った方ですね。
私は甲南学園の常任理事も長年拝命しておりましたが、平生先生の偉大さを改めて痛感しました。有能な経営者でもあり、偉大な教育者。これは、灘校をつくった柔道家であり教育者だった、嘉納治五郎さんと共通するところがありますね。御影師範学校があったことも文教地区の精神が芽生えた理由のひとつでしょうか、報徳学園や女子教育の夙川学院をつくったのも御影ご出身の方だと聞いています。
―御影の将来像をお聞かせください。
私はまちづくり協議会の会長を務めさせていただいていますが、大きな将来計画は御影クラッセで一段落しました。個人的には、震災後“酒蔵の町”としての風情が、写真や映像、模型で見るしかないというのは寂しいなあと感じています。でも嘆いてばかりいては先に進めません。将来に向け、ご近所同士がもっと密に絆をもてる、安全・安心なまちづくりを目指したいと思っています。
甲南漬資料館
神戸市東灘区御影塚町4丁目4-8
TEL.078-842-2508
高嶋酒類食品株式会社
取締役会長
高嶋 良平 (たかしま りょうへい)さん
1945年御影で生まれる。高校大学とフィールドホッケー部に入部、その関係で兵庫県ホッケー協会会長、日本ホッケー協会副会長を歴任。日本協会副会長時代には、男子代表チームの団長として、広州のアジア大会、南ア・モンゴル等の国際大会に随行、現在は引退して東明地区だんじりや地域団体等のお世話をしている