8月号
有馬温泉歴史人物帖 ~其の四拾壱~ 油煙斎 貞柳(ゆえんさい ていりゅう)1654~1734
狂歌の歴史でもひときわクレイジーな、つまりすばらしい足跡を残した油煙斎貞柳さん。父の貞因も歌や句を好み、松永貞徳の薫陶を受けていたとか。そんな父の影響を受けた貞柳さんは、契沖などに学びます。貞因も貞徳も契沖も有馬に来てるので、貞柳さんの才覚は有馬仕込みということにしておきましょうか。ちなみに弟は高名な浄瑠璃作家の紀海音(きのかいおん)です。
若い頃からセンスが煌めいていた貞柳さんですが、壮年期は歌道よりも家業の菓子屋が忙しかったようです。お店は大坂南御堂の向かいで屋号は鯛屋、長崎帰りのトップパティシエ、星野善方から伝授された「玉露霜」という緑豆粉生地のハッカ蒸しが大人気!宮中御用ゆえ関白の鷹司兼熙(かねひろ)とも親しかったそうですが、この方が有馬へを訪ねた際、同行した弟の鷹司輔信が鼓ヶ滝の前に有明桜の碑を建立してございます。
実は貞柳さんの最初の妻、はぎさんは有馬のお隣の山口、現在の西宮市山口町の井筒屋という家の出身。その母のふきさんに貞柳さんは春の草を添え
よめがはぎふきのしゅうとめ
有馬山むこのおくとは
むべもいひけり
と、武庫の奥と婿の奥さんをかけた歌を送ったとか。蕗の姑はフキノトウの別称だそうで。
貞柳さん自身は1730年、71歳にして有馬へ赴き『有馬の道記』を残しています。その文脈からこれがはじめての有馬来湯のようですが、善福寺蔵の貞柳さんの掛け軸には享保七年=1722年とあり、このへんはちょっと謎でございます。
そのルートは尼崎まで船、昆陽(こや)池を経て前回出てきた小浜宿に投宿し友人の和田丈伯さんと酒宴、翌日に有馬へ。その道中
座頭谷こゆるゆゑにや有馬の湯
日本一と名にぞ呼るヽ
と詠じてございます。有馬では温泉を満喫しつつ薬師堂、林渓寺、蘭若(らんにゃ)院、鼓ヶ滝なども巡り、茶会や連歌会も楽しみながら狂歌をいくつも詠んでのんびり。山口の井筒屋にも立ち寄って、亡きはぎさんを偲んでいます。
この道中記に以外にも有馬の歌がいくつか。休所(やすみしょ)の湯女(ゆな)、たけチャンに請われて、
名にしれば
はじめても見たや竹細工
心有馬のかごとばかりに
と、有馬名産の竹籠とたけチャンをかけてすっかり虜!と口説くイケオヤジぶりを発揮。また、本連載其の拾参でご案内の大弐三位の歌を本歌取りして
有馬山いなといへども
ささひとつ
あがれあがれと湯女が一ふし
と、猪名と否、笹と酒とをかけるウィットで湯女の客引きの風景を狂歌で描いてございます。

※「由縁斎貞柳」「鯛屋貞柳」「永田貞柳」などさまざまな表記がありますが、本稿では「油煙斎貞柳」に統一しています。












