7月号
連載 教えて 多田先生! ニュートリノと宇宙のはじまり|〜第37回〜
〜第37回〜「人は光の速度を超えられない」
自然界で最も大きな存在が宇宙、そして最も小さな存在が素粒子と考えられている。素粒子を研究することで、宇宙のはじまり、
人間の存在を解明する―― 日本の誇りをかけて、
その最前線で日々研究に打ち込む素粒子物理学者・多田将先生。
謎に包まれた宇宙について多田先生に教えていただきます。
さあ、授業のはじまりです!
高エネルギー加速器研究機構の多田と申します。
前々回、前回と、高速で動くと時間が遅れ、光の速度と同じとなると時間が止まる、という話をしました。では、光の速度を超えてしまったら、いったいどんな恐ろしいことが起こるのでしょうか?
そんな心配は不要です。人は光の速度を超えられないからです。今回はその話をしましょう。
第六回でご紹介した、僕が勤める加速器実験施設J-PARCですが、三段の加速器で順に粒子(陽子)の速度を上げていきます。中段の加速器が陽子に与えるエネルギーが3GeVです。そして最終段の加速器が陽子に与えるエネルギーが30GeVです。実に十倍になっています。では速度もそれなりに上がっていくのだろう───と、思うでしょう? ところが、速度でいうと、前者が光速の九五パーセントの速度なのに対して、後者は九九・九五パーセントなのです。つまり、十倍のエネルギーを与えても、速度はわずか一・〇五倍にしかならないのです。
みなさんが中学校の理科の授業を憶えておられるとしたら、運動エネルギーは速度の自乗に比例する、と教わったことと思います。それが正しいとするなら、エネルギーが十倍になれば、速度はその平方根、三・一六倍くらいにはなって欲しいものです。しかし、そうはなりません。なぜなら、この「運動エネルギーは速度の自乗に比例する」というのは、速度が光速よりはるかに遅い場合の「近似」に過ぎないからです。
ある物体が持つエネルギー(全エネルギー)は、質量(をエネルギーに換算したもの)と運動エネルギーの和です。速度をv、光速をc、質量をm(後述のものと区別するために静止質量と言います)とすると、全エネルギーEは式1のようになります。質量は、光速の自乗をかけることでエネルギーに換算できます。この運動エネルギーの部分が問題で、速度が光速に近づくと急速に上がっていって、言い換えれば、光速に近づけるには膨大なエネルギーを必要とするのです。
これをより実感するために、「実効質量」という概念を導入してみます。質量がエネルギーに換算できるなら、エネルギーも質量に換算できるからです。式1の全エネルギーを光速の自乗で割ったものが、式2で表わされる「実効質量」mrです。これをグラフにしたものを図に示します。すると、速度が光速に近づくにつれて「実効質量」が急激に大きくなり、光速では無限大になることがわかります。光の速度では、物体の「実効的な」質量は無限大となるのです!
もちろん、無限というのは数式上の概念であって、実際には存在しませんから、要は、物体は光速を超えられないことを意味しています。ただし、式の通り、質量のある物体(mが0でない物体)は、です。ですから、質量のない光は光速となることができるのです。
「運動エネルギー」が出てきた理科を思い出してもらいましたから、ついでに算数のことも少し思い出してもらいますと、なぜ光速を超えられないのか、数式の上でもわかっていただけるかと思います。式で、vがcより大きくなると、v/cが1より大きくなってしまいますから、√の中が負になってしまい、これは許されないのです─ただし、実数では。もっとよく算数が記憶に残っている方ですと、「虚数」という概念も思い出すかもしれません。虚数は、自乗するとマイナスになる数です(正確には純虚数と言います)。自然界には実在しませんが、数式上の概念としては考えられるものです。しかしあくまでも数式上のものなので、数式の中で収まっていなければなりません。つまり数式の上で計算してエネルギーなり実効質量なりを算出するときには実数になっていなければなりません。となると、光速を超えてしまった、つまりvがcよりも大きくなってしまった(√の中がマイナスになってしまった)場合に許される唯一の解は、静止質量mも虚数(純虚数)であることです。そうすれば、虚数割る虚数でエネルギーは実数になります。「質量が虚数」というだけで意味不明ですよね。あくまでも「数式上は」考えられる概念だというわけで、これが実在するとは誰も考えてはいません。少なくとも物理学者は。このような物体(粒子)を、「タキオン」と言います。ギリシア語で「速い粒子」という意味です。
もう一度式を見返してみますと、静止質量mが虚数であるなら、分母も必ず虚数でないといけませんので、√の中は必ずマイナスでなければならず、結果、vは必ずcより大きくなければなりません。つまり、タキオンは光より速い代わりに、光より絶対に遅くなれないのです。
僕が学生の頃、世の中には「タキオン靴下」なる詐欺商品がありました。「タキオンを靴下に閉じ込めました! これを履くとみるみる健康に(略)」という売り文句でした。タキオン入りの靴下を履くとなんで健康になるのかさっぱりわかりませんが、それ以前に、タキオンは光速以下の速度にはなれませんので、実に残念なことに、靴下に閉じ込めることはできないのです。そもそもタキオンを発見したのであれば、靴下に閉じ込める前に、まずは論文を書いて世界に向けて発表するべきです。ノーベル物理学賞を確実に受賞できますよ。
このように、詐欺にも使われるくらい、「光速を超える」ことは夢のできごとなのです。


PROFILE 多田 将 (ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。












