6月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol67 ■映画監督■ 是枝裕和さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。
第67回は、カンヌ国際映画祭の〝常連監督〟などとして世界から期待が高まる是枝裕和監督の登場です。4年ぶりのオリジナル脚本で編集も手掛けた新作『箱の中の羊』が全国で公開中。その製作の背景などを聞いた。
文・戸津井 康之
妥協なき映画作りの姿勢は不変…
国境を越えて広がる世界の期待
徹底した「シナハン」と「ロケハン」
独自の視座から、社会が抱える課題に鋭く切り込む一方、その視線は温かく優しい。
新作のテーマも、やがて迎えるであろう近未来の社会に警鐘を鳴らす一方、家族の普遍の愛、自然の大切さ…への慈愛に満ちている。
「新作を着想したのは約2年前」と言い、そのきっかけは、「死者をAI(人工知能)で蘇らせるビジネスが中国で人気だという記事を目にしたことでした」と話す。
さっそく、「シナハン」(脚本の準備のためのシナリオ・ハンティング)を行うために中国へ行き、このビジネスを興した会社社長に会って取材し、話を聞いた。
「亡くなった本人の音声と画像があれば、映像で本人そっくりに蘇らせることができるんです。しかもAIで学習させれば、録音されていない言葉も話せるようになる。つまり、甦ったその人は〝過去〟ではなく〝未来〟を生きることができる…。これをテーマに映画で描けないだろうか、と考えたんです」
さらに、この社長はこうも話していたという。
「今は映像だけですが、ロボット技術の研究が進めば、本人そっくりのロボットを開発して蘇らせることを考えている。10年後にはそれは可能なのだと…」
〝強力タッグ〟再び
中国から帰国すると、「日本のロボティクス(ロボット工学)の研究者たちに会い、取材を進めました」と脚本の構想を練りあげていく。
そして、プロットを作った段階で、「主演はこの人に…」と心に決めていた女優へと送った。
その女優とは、今作の主演、綾瀬はるかだ。
2015年に公開された映画『海街 diary』以来のタッグとなる。
「実はこれまでも会うたびに〝また一緒に映画を撮ろう〟と話していたのですが、気づいたら約10年ぶりになっていました」
脚本は、綾瀬はるかを主演に想定した〝当て書き〟で書き進めていったという。
《舞台は近未来…。
自ら設計した一軒家で暮らす建築士、甲本音々(綾瀬はるか)と、工務店の二代目社長、健介(大悟)夫婦のもとに一通の報せが届く。「事件や事故で家族を亡くした遺族に対し、最新型ヒューマノイドを無償でレンタルします」という案内だった。音々と健介の一人息子、翔(桒木里夢)は、2年前、7歳で亡くなっていた…》
木の建物と中庭の自然とが一体となった家。全面に採り入れられたガラスから日中は太陽の光が降り注ぎ、夜は月明りが降りてくる…。
「木とガラスの融合。自然と日常生活との融合。中庭、渡り廊下があって、これらの融合が叶えられた家…。関東一体をロケハン(ロケ場所を探すロケーション・ハンティング)して探し、ようやく希望通りの家が鎌倉に見つかりました」
是枝監督のロケハンへのこだわりは、それだけではない。
さらに譲れなかった条件があった。
「30代の女性建築士が自ら設計し、建築家の夫が建てた家…でなければならない」
つまり、今作の主人公、音々(綾瀬)がこの30代の女性建築士。その夫である工務店を経営する健介(大吾)の手で建てた家…が映画の舞台として登場しているのだ。
「最後は5軒ぐらいまで絞って、自分の目で確認して決めました。この家で暮らす夫婦は撮影にとても協力的な方たちで映画に出てくる家の建築模型も作ってくれたんですよ」
シナハンのためには、中国まで社長に会いに行き、ロケハンのために、徹底してその条件に叶った家など撮影場所を探し出す…。
今回のロケハンでは家とともに作品の重要なテーマの一つとなる〝巨大な樹〟を探すために、富士の樹海など全国各所を回り、ようやく広島でその巨木に辿り着いた。
こんな是枝監督の徹底したこだわりから一つの映像作品は完成へと向かう。
今作は構想から約2年というスピードで脚本執筆から撮影、編集までをこなしている。
「ロケハンをしながら構想を固め、ロケ先で脚本を書いたり…という平行作業で準備を進めました」と打ち明けた言葉に、タイトなスケジュール調整をこなしながらも、妥協を許さない姿勢で映画作りに臨んだ苦闘の跡が伺える。
綾瀬の夫役は、人気漫才コンビ「千鳥」の大悟。「キャスティングの打ち合わせで、私が候補として挙げたのが大悟さんでした」と是枝監督が明かす。
甲本夫婦の故郷は広島。
綾瀬は広島県出身で、大悟は広島県の隣の岡山県生まれ。
久しぶりに自宅へ〝帰ってきた息子〟を素直に受け入れる妻と、「息子に似たロボットだ」とそっけない夫。綾瀬と大悟が醸し出すこの真逆の佇まい、雰囲気に、是枝監督のキャスティングの意図や狙いが伺え、その洞察力の鋭さを知らされる。
長年、関東で暮らす夫婦が、夫婦喧嘩などで感情的になると出てくる標準語ではない故郷の方言のセリフは演技を超えて自然だ。
世界からの高まる期待
今作は、5月に開催された今年のカンヌ国際映画祭のコンペ部門にノミネートされた。
この日の取材は5月初旬、大阪で行われた。取材の後、「来週、カンヌへ行ってきます」と、世界三大映画のひとつ、カンヌ国際映画祭の〝常連監督〟として世界で名を馳せる国際派監督は言い、大阪を後にした。
初めてカンヌ国際映画祭のコンペ部門にノミネートされたのは25年前の2001年、『DISTANCE』だった。
その3年後の2004年、『誰も知らない』で主演の柳楽優弥が、日本人俳優として初めて最優秀主演男優賞を受賞し、話題をさらった。
そして2018年の『万引き家族』で遂に最高賞にあたるパルムドールを獲得。〝カンヌの常連監督〟から〝常勝監督〟にのぼり詰めていく。
また、今年のカンヌ国際映画祭では〝日本人監督〟が注目を集めた。
是枝監督と濱口竜介監督、深田晃司監督。3人の日本人監督がコンペ部門にノミネートされたのだ。
過去、カンヌで日本人監督が3人ノミネートされた年を調べると、25年前にまで遡らなければならない。
この2001年にノミネートされたのは、今村昌平監督と青山真治監督。そしてもう一人が是枝監督だった。
映画監督としてデビューし、30年以上にわたり、是枝監督は世界の第一線で踏ん張り続けてきた。
ここで、ビッグニュースがもう一つ。
英国の実力派スター、エディ・レッドメインを主演に、米大手映画製作配給会社「サーチライト・ピクチャーズ」の製作で新作を撮影することが決まったのだ。
映画の構想について聞くと、是枝監督は、「アメリカとイギリスで撮影する予定です。レッドメイン以外のキャスト?まだ言えないんですよ。でも楽しみにしていてください」と笑顔を浮かべた。
これまで、フランスの大女優、カトリーヌ・ドヌーヴやジュリエット・ビノシュ、ハリウッドの重鎮俳優、イーサン・ホーク、韓国の名優、ソン・ガンホにペ・ドゥナらを配役し、フランスや韓国など世界を舞台に映画を撮ってきた。そのたびに日本人監督として世界の映画ファン、関係者たちから注目を浴びてきた。
長年、私は映画記者として数多くの海外の監督や俳優たちを取材してきた。「好きな日本の監督は?」と質問すると「黒澤明、小津安二郎…」と往年の名監督の名とともに必ず挙がるのが是枝監督だ。
そして俳優たちは必ず、「いつか是枝監督の映画に出たい」と声を揃える。
すでに新作の撮影に向けて是枝監督の徹底したこだわりのシハナン、ロケハンは始まっていた。
世界を代表する名優たちと、どんな新境地を拓き〝化学反応〟を見せてくれるのか。今から楽しみでならない。
「公開は再来年を予定しています。海外でこの仕事を終えたら?まだまだ、日本で撮りたい作品が何本もあるんです。それらを完成させたい」
創作へ懸ける情熱は尽きることなくあふれ、その視線は、すでに未来を見据えていた。

是枝監督は新作の着想からシナハン、ロケハンの背景について丁寧に明かしてくれた

『箱の中の羊』のワンシーン。建築に携わる夫婦を熱演する綾瀬はるか(左)と大悟

『箱の中の羊』のワンシーン。近未来を舞台に家族の在り方を問う

次作は合作映画。是枝監督はすでに準備に取り掛かっていた
キャスト:綾瀬はるか 大悟(千鳥)
桒木里夢 清野菜名 寛一郎
監督・脚本・編集:是枝裕和
音楽:坂東祐大
製作: フジテレビジョン ギャガ 東宝 AOI Pro.
制作プロダクション:AOI Pro.
配給:東宝 ギャガ
©2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.
5月29日から全国で公開中。

是枝 裕和(これえだ・ひろかず)
1962年、東京都生まれ。早稲田大学卒業。1987年、テレビマンユニオンに参加し数々のドキュメンタリー番組などを手掛ける。1995年、『幻の光』で劇場映画の監督デビュー。2004年、『誰も知らない』がカンヌ国際映画祭で高く評価され、柳楽優弥が日本人初の最優秀主演男優賞を受賞。2018年、『万引き家族』がカンヌ国際映画祭最高賞のパルム・ドールに輝く。2025年にはNetflixで『阿修羅のごとく』が世界配信される。新作『箱の中の羊』は5月29日から全国で公開中。












