3月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ㉒ 星の學者
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
先ず、拙詩一篇。
カウンターの中から
扉にかかる手が見える
あの人の手だ。
(詩集『喫茶・輪』より「来客」)
ほぼ常連客ばかりのわたしの店である。
入り口は、来店客のドアにかかる手がカウンター内にいるわたしから見える構造になっている。顔は見えないが、把手を引く様子でどなたか想像できる。
入り口は二重構造になっている。
まず表のドアを開けると半坪ほどのスペースがあり、もう一つの扉を開けなければ店内には入れない。その小さな空間で、初めての人は躊躇する。その様子で、カウンター内のわたしは、初めての人だと察する。
やってこられた老婦人。
腰をかがめて挨拶をされる。そして、
「勇気を出して来ました」と。
『触媒のうた』を読ませていただきました」とおっしゃる。「感動しました」と。
わたしは恐縮。
「いえいえ、ありがとうございます。お恥ずかしい」とオロオロしてしまう。そして、
「これをもらっていただけませんでしょうか?」と言って一冊の古本を手渡された。
「父が昔、三宮の後藤書店で購入したものです」
後藤書店は、長きにわたって兵庫県の文化に寄与した古書店だったが、10年前に廃業し、今はギャラリーになっている。
手渡された古本は稲垣足穂の『星の學者』である。定価は弐圓四〇銭。
「え?そんな貴重なものを?お父さんの遺品でしょ?わたしごときが戴いてもいいのですか?」
「今村さんに持っていただければ父も喜ぶと思って、勇気を出して来ました」
ありがたく頂戴することにする。
しかし、これぞ古本といった風情。昭和19年発行である。物資が欠乏していた戦争末期である。紙質も至って粗悪だ。背はすでに割れている。読もうとしてページを繰れば、あっという間に分解してしまうだろう。でも捨てずに大切にしてこられたのだ。修理して読ませてもらうことにした。
わたしは、小さな万力を百円ショップで二個購入。そして、定規、ボンド、和紙を用意し修理した。手先が不器用なわたしなので心配だったがなんとか大丈夫のよう。良かった。
足穂だが、わたしにはちょっとした思い出がある。もう昔だが、神戸女子大学での何かのイベントで詩を朗読する機会があった。贅沢にも同大学の教授であり、ピアニストの田中敬子さん(現在は兵庫大学教授)の伴奏に乗せて足穂の詩を朗読したのだった。
ところで『星の學者』であるが、わたしのような浅学の者には少々難しい。天文学のことが真面目に科学的に書かれている。さすがに戦時中の本、その「はしがき」はこう始まる。
《この大戦の初め頃、何故ドイツ空軍がイギリスの軍艦を一隻も撃沈することが出来なかったか、といふのは、かれらに海洋航空の訓練が積まれていなかったからです。》
このあと、戦争遂行にも天体知識が必要との見解が述べられている。
本文は「日本書紀」から説き起こし、図解しながら科学的に話を進め、しかし文章はけっこう読みやすい。といってもすべて旧字、旧仮名遣いだから、今の若い人には読みにくいでしょうね。
読み終えて思うのは、なぜあの老婦人は、この本をわたしにプレゼントしてくださったのだろうか?『触媒のうた』(今村欣史著・神戸新聞総合出版センター)となんの関係があるのだろうか?ということ。不思議だ。
足穂の詩にこんなのがある。
私は海水浴場を歩いてゐた。
頭の上からカツと太陽が砂に照りつけ、そこに乾してある赤や黄の派手な縞のついた女の海水服や、白い天幕が強烈な未来派の絵に似た渦を巻いてゐる。そこを通りぬけると、緑色の四角な小舎があつたが、その窓の縁にとどくまで砂がよせかけてある。どうしたのだらう、子供が窓をのぞくために集めたのか知ら、それにしても高い窓でもないのに……と近づいた拍子に、その砂がムクムクと動いた。オヤ!と思つた時、そこに斜に立てゝあつた白ペンキの立札が目についた。それにはThe horseと下手な字が書いてあるので、急いで砂を掘つてみると、そこに馬が入つていた。しかもそれは生きたチョコレート色のいゝ馬だつたので、自分はそれに乗つて帰つた。ハイシ!ハイシ!………
(馬をひろつた話)
狐につままれたような話である。
実は昔、わたしが朗読したのはこの詩であった。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。近著『触媒のうた』-宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)。