2018年
3月号
白亜の壁。黄赤色の瓦屋根が特徴だった「パボーニ」

夙川に文化の薫香を放った幻のカフェ パボーニ物語

カテゴリ:文化・芸術・音楽, 西宮

多摩美術大学学長の建畠哲をして「阪神間の夙川に地上に存在していることが奇跡ともいうべき美しい喫茶店」と言わしめたパボーニ。阪神・淡路大震災で失われ、現在その場所はシンボルだった2本の棕櫚の木が残っているだけだが、店は大阪・堂島で受け継がれている。ブログ「阪急沿線文学散歩」を発信するなど西宮と文学に詳しい西宮芦屋研究所の蓮沼純一さんと一緒に堂島のパボーニを訪ね、オーナー福井ひでのさんに夙川のパボーニについてうかがった。

大阪から夙川へ

 白亜の壁。黄赤色の瓦屋根。かつて千歳町にあったパボーニの写真を見ていると、明るく瀟洒しょうしゃな雰囲気は南仏を思わせ、乾いた六甲おろしでさえこの前を吹き抜けるときはミストラルに変わってしまうのではないかと思うくらいの存在感を感じる。
 「もともとパボーニは堂島で創業したんです」と福井さん。創業者は小森譲といい、バリトン歌手としてミラノで研鑽を積んだが、その際に出会ったパボーニ社のコーヒー抽出機の魅力にふれ、帰国後取り寄せて昭和3年(1928)にカーサ・ラ・パボーニをオープンした。この砲弾型の機械はいま稼働はしていないが、現在のパボーニで大切に保管され歴史を黙して語っている。ちなみにパボーニとはイタリア語で孔雀のこと。
 その後、福井さんの祖父にあたる中村善太郎が経営を受け継ぎ名をラ・パボーニと改め、やがて高麗橋に移転した。その頃、福井さんの大おばにあたる益山邦子が手伝っていたが、客としてやって来た画家の大石輝一と出会い、結婚。やがて昭和9年(1934)に屋号を受け継いで夙川でルージュ・ラ・パボーニを開くこととなった。

大石輝一とパボーニ

 大石輝一は明治27年(1894)に大阪で生まれた。もともと絵を描くことが好きだったが、22歳の頃熊野の友人宅に滞在した際に新宮出身の作家、佐藤春夫らと交遊して刺激を受け、洋画家への道を決意、上京して岡田助三郎の本郷洋画研究所の門を叩いたが、関東大震災のため帰阪。ちなみに佐藤春夫に妻を譲った谷崎潤一郎も関東大震災で阪神間へ移っている。
 関西に戻った大石は苦楽園にアトリエを構えた。その頃、伊藤慶之助や辻愛造ら画家仲間たちと「艸園会そうえんかい」を結成、その後伊藤継郎や田川勤次、田川寛一、吉原治良などがメンバーとして加わった。パボーニで邦子と出会ったのも、この会合で大阪に出向いた道すがらだったという。どうやら大石は画家同士のコミュニケーションを生涯大切にした人物のようで、神戸洋画家協会や兵庫県美術科連盟などにも関わり、小磯良平、田村孝之介、川西英、小松益喜らとも交遊している。これらの錚々たるメンツも一度や二度は夙川パボーニへ足を運んだことがあるのではないかと想像する。
 夙川にパボーニをオープンして以降、大石はここを創作や交流の拠点とした。また、その建物自体も大石の「作品」と言えるもので、建て増しに建て増しを重ねた複雑な建築は2階建てのような3階建てのような不思議なもので、神戸大出身の建築家、毛綱モン太(毛綱もづな毅曠きこう)が『奇館異感』で紹介、図面に起こしており、後に画家の三木衞がミニチュアで復元、堂島のパボーニに、室内にあった壁画の一部とともに展示してある。
 阪神間モダニズムの華やかさが軍国主義の重苦しさに塗りつぶされても、パボーニには芸術を愛する人たちが集い、店内にはリベラルな空気が漂っていたようだ。そして戦時中、パボーニは“阪神間で唯一営業している喫茶店”だったらしく、大石もまた米軍機が空を行く下で屋根に上って建築芸術に没頭していたという。暗澹たる世相の中で白亜の店から滲み出る芸術の芳香を感じたのか、幼き日の野坂昭如の心に深い印象を与えたパボーニは、『火垂るの墓』や『ひとでなし』などの作品に登場。野坂は生涯この店を愛してたびたび訪ね、テレビ番組でも紹介している。

パボーニ会とゴッホ

 そして迎えた戦後、パボーニは芸術文化のサロンとなる。黒田征太郎や遠藤周作、小松左京もパボーニに通った。ミュージカルスターとして日本人で初めてブロードウェイでデビューした女優のロミ山田も、母に連れられてやって来たという。
 昭和30年代になると店内の会議室に有志が集う「パボーニ会(パボーニ倶楽部)」が発足、定期的に例会を開き放談するだけでなく、会報誌を発行したり、立杭を訪ねたり、展覧会や講演会、蚤の市を企画したりと精力的に活動した。
 中でも驚くのは、複製画によるゴッホの展覧会を主催したことだ。大石はもともと白樺派に深く共鳴していたが、そのメンバーの一人、武者小路実篤は白樺派美術館建設構想を抱き、芦屋の実業家、山本顧弥太に依頼してゴッホの「ひまわり」(現在は焼失)を購入した。若き日の大石はその作品を眼にして感銘を受け、以降、ゴッホに心酔。甲南学園歌の作者でもある随筆家の寿岳じゅがく文章ぶんしょうを通じ、精神科医にしてゴッホのコレクター、式場隆三郎と知己になり、昭和29年(1954)に三宮の朝日ビルでパボーニ倶楽部主催の「炎の画人ファン・ゴッホ展」を実現、式場コレクションを展示した。
 式場は山下清の支援者でもあり、その縁で山下は昭和30年頃にパボーニに投宿、テラスからカトリック夙川教会越しに六甲を眺め、その光景をスケッチしたが、これが山下がはじめてマジックインキで描いた作品といわれている。「山下清はパボーニでのできごとを『日本ぶらりぶらり』という作品に記していますが、そのタイトルは“夙川くそばなし”なんですよ。どうやら大石輝一は話し好きだったようで、山下もとても楽しかったのでしょう」と蓮沼さん。昭和32年(1957)にはパボーニ倶楽部主催の山下清新作展が開催されたが、200以上の作品が集う大規模なものだったと記録されている。
 また、大石はフランス名画の複製画のコレクションにも熱心で、複製画美術館構想を抱いていた。そのコレクションの展覧会もパボーニ会主催で何度か開催している。須田剋太はこの活動を高く評価している。

受け継がれるパボーニの心

 昭和35年(1960)、大石は三田市郊外の広野の丘に土地を取得。「アルルに似ているから」とこの地を選んだというが、ここでアートガーデンを建設するようになり、ゴッホの碑を建てた。その除幕式にはオランダ総領事、フランス副総領事、阪本勝兵庫県知事などが出席して盛大に開かれ、松下幸之助も碑文を寄せている。その後も民芸運動の指導者、柳宗悦の顕彰碑なども建てた。ちなみに大石は、カトリック夙川教会を創設したものの戦時中投獄され殉教したブスケ神父の像をアートガーデンに建立し、生前の神父と約束した肖像画をカトリック夙川教会に献納している。
 昭和45年(1970)、大石輝一は逝去するが、その後は妻の邦子がパボーニを守った。しかし、扇の要を失ってサロン的な活動は下火になり、アートな老舗の喫茶店という風情で静かに営業していたようだ。
 福井さんは大おばにあたる邦子が高齢のため、1980年代半ばから時々店を手伝うようになった。営業していたのは水~土曜日の昼から暗くなるまで。時には野坂が訪ねてきたり、遠方からアート好きがやって来たりした。
 そして平成7年(1995)、阪神・淡路大震災で建物は全壊、夙川パボーニは終焉する。福井さんは傾いた店から大石の作品、看板や壁画などを救出した。
 「とにかく、私はあの建物と空気感が好きだったのですよ。あそこに居るだけで幸せを感じました」という福井さんは、夙川パボーニが全壊した1年数ヶ月後に、創業の地・堂島でパボーニを復活させた。その翌年、その姿を見届け安心したのか、邦子は夫のもとへ旅立った。
 現在のパボーニでは、夙川パボーニの店内のドアや椅子がいまだに現役。往時の看板や壁画が往時を思い出させ、稼働はしていないがその名のもととなったコーヒーマシンもそっと置かれている。そして大石の作品のみならず、さまざまなアーティストの作品が自然に飾られ、半地下の部屋にあるピアノは時々、ライブなどで調べを奏でる。福井さんもまた、シャンソンを嗜むとか。
 パボーニ会の会報誌の創刊号に「芸術は、生活の毛穴からふき出る汗水です」という一説がある。気取らず飾らず、人生にアートを。そんな大石輝一の思いと、店が紡いだ90年の時の流れがとどまり、その水面が鏡のように文化を映す堂島の小さなカフェ、パボーニの居心地の良さもまた奇跡なのだろうか。

現在のパボーニ。夙川のパボーニの雰囲気を漂わせる入り口

遠藤周作、野坂昭如、小松左京らが集う文化サロン的な存在であった

白亜の壁。黄赤色の瓦屋根が特徴だった「パボーニ」

福井さんの大おばにあたる益山邦子。野坂昭如と

「艸園会」のメンバーでもあった吉原治良の作品

夙川でスケッチを行う山下清。右は大石輝一

山下は昭和30年頃にパボーニに投宿した

山下がはじめてマジックインキで描いたと思われる作品。カトリック夙川教会が描かれている。昭和31年6月8日と記されている

阪神・淡路大震災後、黒田征太郎からパボーニを惜しむ手紙が届いた

パボーニの思い出を語る蓮池純一さんと福井ひでのさん

夙川から移転して、大阪・堂島で受け継がれている

カーサ・ラ・パボーニ

大阪市北区堂島1-3-19 前川ビル1階
TEL.06-6345-7746
http://www.pavoni.jp
email hideno-pavoni@gold.ocn.ne.jp

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