3月号
英国と神戸 Vol.9 神戸のハイカラ文化を伝える トアロード
慶応3年(1868)に開港した神戸では、外国人たちの居住は、造成されたばかりの外国人居留地に限られていた。しかし、居留地の整備の遅れなどで英・仏・蘭の代表からクレームがあり、政府は明治2年(1869)に外国人の居住を認める雑居地を指定。中でも高台に位置する北野は住宅地として外国人に注目され、多くの異人館が建てられた。
外国人たちのビジネスの場である居留地と、生活の場である北野地区を一直線で結ぶ唯一の道路。それがトアロードだ。明治5年(1872)頃に整備され、当時は「三ノ宮筋通」と命名されていた。トアロードとよばれるようになったのは昭和に入ってからだという。
トアロードという名の由来については諸説あるが、トアホテルが起源という説が最有力だ。トアホテルは米・英・独・仏人の共同出資により、明治41年(1908)に開業した。丘の上のお城のような超一流ホテルで、設備や環境も抜群、紳士淑女の社交場でもあった。繁栄を極めた神戸において、海岸のオリエンタル、山手のトアと、2つのホテルが双璧をなしていたという。しかし、昭和25年(1950)に火災で失われ、現在そこには神戸倶楽部がある。
トアホテルという名称は、ホテルが建てられた場所にかつて英国人・バーデンズが邸宅を構え、「The Tor」と称していたことに由来する。「Tor」とは、ケルト由来の古英語で、高い岩や丘のこと。本来は「トール」または「トー」と読むが、トアホテルの広報担当重役がドイツ人で「トア」と発音していたことから、「トアホテル」という名が定着したようだ。
トアロードは神戸の街の軸であり、神戸ハイカラ文化の軸でもある。馬車で行き交う外国人を対象にした洒脱な店が建ち並んで異国情緒漂い、稲垣足穂や谷崎潤一郎など文人墨客を魅了、さまざまな文学作品にも登場している。