1月号
至高のSUVを駆って光り輝く明日に向かえ!
オリックス バファローズ T-岡田
㈱神戸マツダ 代表取締役社長 橋本 覚
豪快なスイングと芸術のように美しいフォームで知られるT-岡田選手。“美しさ”と“力強さ”を兼ね備えたT-岡田選手と愛車レンジローバー・ヴォーグには多くの共通点がある。T-岡田選手と株式会社神戸マツダの橋本覚社長に、レンジローバー・ヴォーグの魅力について語り合っていただいた。
虹のようにアーチを架ける
─T-岡田選手が野球をはじめたきっかけは何ですか。
岡田 小さい頃は虫取りとかが好きで、外で遊んでいたら小学校の時の指導者に野球しないかと誘われたんです。最初は野球が好きというより友達がいるから行くという感じでしたが。
─橋本社長は熱狂的な野球ファンですが、岡田選手の魅力はどんなところですか。
橋本 常に進化を続けようとしているところです。また、打った瞬間ホームランという当たりも印象的です。美しい放物線を描くアーチは心を掴みます。野球の醍醐味はやっぱりホームラン。昨年は31本塁打と、両リーグを通して日本人選手トップでしたね。
岡田 はい。でも、野球はチームスポーツですから、チームの成績が一番です。4位という順位に満足していませんし、もっと良い成績が残せたなという手応えを感じた1年でした。
橋本 昨年のシーズンで私が印象に残ったのは9月のソフトバンク戦、特大の3ランホームランです。マツダが冠スポンサーだったオールスターでのホームランも印象的でしたね。ご自身のプレースタイルの特徴はどんなところにあると思いますか。
岡田 滞空時間が長いホームランが僕のひとつの特徴だと思います。速い球を投げるのと遠くへ球を飛ばすのはある程度生まれ持ったものがあると言われていますので、そういうのも多少あるのかと思います。
海を越え愛されるブランド
─ジャガー・ランドローバーは昨年10月に姫路に仮店舗をオープンしましたね。
橋本 姫路市は兵庫県で2番目の都市ですので、さまざまな車種を展開するためには、是非進出する必要があるだろうと、このたびの出店となりました。まずは準備室、そして今年の夏以降に本格的な店舗をオープンしようと思います。
─レンジローバーにはどんなブランドイメージがありますか。
岡田 SUVの中でもラグジュアリーさがあって、他にはない魅力がありますよね。1年間乗ってみて、ちょっと失礼な言い方かもしれませんが、期待以上の乗りやすさ、快適さがありました。外見もインテリアも素晴らしいですし。
橋本 ありがとうございます。今回の対談も、岡田選手の方からシーズンが終わったので、お礼と報告がしたいという申し入れをいただき実現しました。こうやってお会いすると本当に優しい方ですし、わざわざお訪ねいただくように非常に礼儀正しい。そのような方に乗っていただくというのも嬉しいことです。
─レンジローバーにはどんな歴史がありますか。
橋本 もともとレンジローバーは1970年に発売されたので比較的歴史は浅く、当初は高級車という位置づけではありませんでした。しかし、さまざまな用途に使える車なので、貴族階級の方が昼は狩猟へ、夜はパーティーへ1台で行けると目をつけるなどイギリスでの反響が大きくて、生産能力をはるかに上回るオーダーをいただいたのです。そして年を追うごとに高級感を増し、今や世界の富裕層のお客様からの圧倒的な支持により「四駆なのに高級車」という地位を確かなものにして、「砂漠のロールスロイス」ともいわれています。最近では英国の皇太子の愛車としても知られています。
勝利へと、白い車よ誘え
─ヴォーグにはどんな魅力がありますか。
橋本 レンジローバーの最高級グレードで、SUVとして世界初のオールアルミボディーで車体は軽く、貝殻のような形状のクラムシェルボンネットからはじまって、最新のテクノロジーを採り入れた究極のレンジローバーです。90センチまでの水深に対応する渡河性能を持ち、特に4輪をコントロールしてすべての地形に適応するテレインレスポンスシステムや、急勾配を一定速で下ることの出来るヒル・ディセント・コントロールなどのオフロード運転アシスタントシステムも採用しています。また、お客様に自由にエクステリアとインテリアの組み合わせを選んでいただけますし、特にスペシャル・ヴィークル・オペレーションですと特別なオーダーにも対応いたします。いま岡田選手に乗っていただいているのはV6スーパーチャージド3000㏄ですが、8速オートマチックで非常にレスポンスが良い車です。
─岡田選手にアンバサダーをお願いしたのはなぜですか。
橋本 一昨年、岡田選手と懇意にされているお客様から、岡田選手がレンジローバーに関心があると聞きまして、世界一美しく力強いレンジローバーと、しなやかで力強い岡田さんのイメージがピッタリだと思ってお願いしました。
岡田 まさかアンバサダーのお話をいただけるとは思っていなかったのでびっくりしましたが、それ以上に嬉しかったですね。最初にハンドルを握ったときは興奮しました、打席に入るとき以上に(笑)。
橋本 そうやって乗っていただいて、日本人最多本塁打と150本塁打を達成していただいたので、本当に嬉しく思います。
岡田 僕は体が大きいのですが、しっかりと包み込んでくれるシートが気に入っています。〝自分の空間〟を感じられるのも良いですね。運転して球場へ行く時はモチベーションを上げていきたいのですが、集中もリラックスもできる空間だと思います。音楽を聴いて、少しずつ気持ちを高めています。
橋本 色はユーロンホワイトですが、北半球で最も南の氷河がある中国・雲南省の世界遺産、玉龍雪山にちなんでいて、ランドローバー史上初のメタリックのホワイトという稀有な色です。まさに岡田選手にピッタリの一台だと思います。
岡田 僕は白が好きですし、すごくきれいな白なので最高です。
堂々と、光を目指し進む
─阪神・淡路大震災から23年経ちますが、振り返っていかがですか。
橋本 弊社はすごく打撃を受けたのですけれど、周りのみなさまに助けていただきました。阪神・淡路大震災の年にはオリックスがリーグ優勝、翌年は日本一でした。東日本大震災の後の楽天もそうですが、何か不思議な力があるのでしょうね。神戸の人にとって、オリックスは特別な存在です。イチローという素晴らしい選手もいました。
岡田 イチローさんとは一緒に自主トレしたことがありますが、実際には非常にユニークな人です。冗談とかおっしゃるのですけれどトレーニングは緊張した雰囲気で、いざバッティング練習ともなると周りの空気が変わりすごい集中力で、そんな切り替えの上手さとかはとても勉強になります。イチローさんは質問すればきちんと答えてくれます。人間としても深みがある方です。
橋本 ほっともっとスタジアムはわが家から近く、息子も野球をしていたのでよく行くのですよ。今は神戸での試合が少なくなって残念ですが、「がんばろう神戸」ですから神戸の球団だと認識しています。選手会長は大変ですけれど、ぜひ頑張っていただきたいですね。
岡田 ありがとうございます。やっぱり自分が結果を残すことでチームを引っ張ることになると思うので、良いときも悪いときも決して下を向かず、堂々とプレーしていきたいです。
地域活動で笑顔を繋ぐ
─企業と地域社会の関わりについて、橋本社長はどのように取り組んでいますか。
橋本 自分たちだけ良ければいいという時代は終わりました。いま社員は胸に「5 HAPPY」というバッジを付け、お客様、社員とその家族、地域、社会・環境、パートナーの幸せのためにさまざまな実践をおこなっています。昨年は集中豪雨があった日田市と朝倉市、一昨年には地震があった熊本や豪雨があった常総市へお手伝いに行き、東日本大震災の被災地へは20回以上足を運んでいます。近隣地域ではかねてから清掃活動を継続し、最近では近くの小学校の社会科の授業で本社や本店を見学していただいています。また、本社が津波時の緊急避難場所ですので、保育園の避難訓練も受け入れています。地域の方々なくして我々も成り立ちませんので、今後もさまざまな活動に取り組みます。
─岡田選手も野球教室などで地域貢献をおこなっていますよね。
岡田 シーズンオフに数回させていただいています。僕も小学校の時に、当時の藤井寺球場で野球教室に参加して、いま楽天の監督の梨田さんにティーを上げてもらったんです。子どもたちに野球の楽しさをしっかり伝えたいですね。
─最後に、今年の抱負をお聞かせください。
岡田 オリックスはなかなか優勝できていませんので、神戸の方の期待も背中にしっかり受けながら優勝目指して頑張りたいと思いますし、選手会長としてチームを背負いしっかり導いていきたいと思います。
橋本 70周年の時に立てた「創新」というコンセプトもあと4年で、その間のテーマは「JIRITSU」~「自律」と「自立」です。すべての社員と一丸となり、内発的な動機により自ら考え行動し、この目標に向かいたい。そして、より多くのみなさまにブランドの魅力を知っていただけるようにしていきたいですね。
橋本 覚(はしもと さとる)
1961年生まれ。1985年一橋大学法学部卒業、同年住友銀行(現三井住友銀行)入行。ボストン大学にて国際銀行法学修士取得・ニューヨーク勤務等を経て1996年退職。2000年㈱神戸マツダ代表取締役社長就任。2002年ジャガー・ランドローバー・ディーラー協会理事就任。2017年全国マツダ販売店協会会長
T-岡田(てぃーおかだ)
1988年生まれ。大阪府吹田市出身。大阪の名門・履正社高校で1年生の夏から4番を打ち、2005年に高校生ドラフト1巡目でオリックスバファローズに入団。高校通算55本塁打、バットスピード150kmの豪快で力強いスイングから「浪速のゴジラ」と呼ばれ、背番号もゴジラ松井と同じ55番。