10月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ⑰ 百歳の人
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
わたしの知人の最高齢は百歳である。1916年12月16日が誕生日だから間もなく百一歳だ。
お名前を竹本忠雄さんという。そう、男性です。百歳越えの男性は女性に比して極端に少ない。その数少ないおひとりである。
立派な体格をしておられる。長寿者はたいてい細身の人が多いと思うがこの人は違う。大人(たいじん)の風格がある。話の合間に破顔一笑。つい引き込まれてしまう人間的魅力がある。
若い日には川西航空機で、米軍を苦しめたというあの戦闘機“紫電改”の試作を主任として経験。のちに姫路の工場へ出向し、翼(よく)を作る指導者にもなったと。そこで米軍の爆撃に遭い工員72人が死亡したが、竹本さんは九死に一生を得る。その後の人生にも何度も危機があったが、運の強さもあって乗り越えてきた人だ。
最近、一族で百歳を祝う集いが持たれたと。
「48人のうち45人が集まってくれました」
それは凄い。欠席者はたったの3人。集合写真を見せてもらったが竹本さんを中心にクジャクが羽を広げたように壮観である。
この人、お元気なだけではない。気持ちがすこぶる前向きなのだ。97歳の時に右ひざの人工関節手術を受け、翌年には左ひざも。自分の足で歩きたいからと。99歳の時には白内障の手術も受けておられる。意欲的ですねえ。
そしてそして、頭脳明晰。会話の中に固有名詞や数字がバンバン出てくる。こんな百歳があるだろうか。
この人と会って話すとわたしは本当に元気づけられる。だから時々会いに行くことにしている。
先日のことだ。今は会長職に退いておられるが、長年経営してこられた会社の事務所に招かれる。
満面の笑顔で迎えてくださる。そして、
「事務所は戦場です。わかってるんですけどな」とおっしゃる。
さすがに長年実業の世界で生きた人だ。
「そやけど友達がみんなおらんようになってしもて、ほかに行くとこがないもんやから」と。
そして出た言葉が、
「後期高齢者ですよってになあ」
なぜかこの人から“後期高齢者”という言葉が出ると得もいえぬおかしみが湧いてくる。竹本さん独特のユーモアだ。
今後の目標を聞いてみる。
「まだまだようけやることがおまんねん。差し当たって、ここ(事務所)を建て替えたいと思てます。社長(ご長男)と相談してマンションにね」
それは大事業だ。
「相続対策をしとこ、思いましてな。もう八割がた済んでますんやが、相続が争続にならんようにキチッとね」
苦労して残した資産で争いが起きては悔いが残ると。
そして、旅行がしたいとおっしゃる。「もういっぺんバリ島へ行ってみたいですなあ」と。これまで、世界中あらゆる国へ行っておられる。
しかし、
「いっつも連れて行ってくれる娘が今、仕事を休めんもんで」
やはり百歳では、どうしても付き添い人なしでは無理なのだ。
「国内では利尻島と礼文島へ。これも昔に行ってますけど、もういっぺん」
今の元気さなら、そのうちバリも利尻も実現なさるだろう。聞けば九月には城崎温泉へ行くことがすでに決まっているとのこと。この号が出るころには元気に土産話が聞けるかもしれない。
今回、この人に会うに際して、一冊の詩集を携えて行った。杉山平一詩集、『希望』(編集工房ノア刊)である。
杉山先生は97歳でお亡くなりになったが、その半年前には「喫茶・輪」にご来店くださったことなど、わたしとの関係をちょっとお話して、その中の一篇の詩を読んでもらった。
「いま」という詩である。わたしの大好きな詩だ。
もうおそい ということは
人生にはないのだ
おくれて
行列のうしろに立ったのに
ふと 気がつくと
うしろにもう行列が続いている
終わりはいつも はじまりである
人生にあるのは
いつも 今である
今だ
文字を追っておられた竹本さん、ひと時おいて、わたしの顔をじっと見て、
「わかりますなあ。中身が濃い」と一言。
この詩は、この人にこそ似合う。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。近著『触媒のうた』-宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。