8月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.69 ■国際ジャーナリスト■ 堤 未果さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。
第69回は、刊行する新書が軒並みベストセラー入りする人気の国際ジャーナリスト、堤未果さんの登場です。最新刊の〝取材秘話〟などを語ってもらいました。
文・戸津井 康之
不老長寿、安楽死、クローンサービス……
〝ビジネス化する生命〟への警告書
新たな違和感の正体とは
人の健康よりも利益を優先し、ビジネス化が進む食産業。エネルギー資源を独占するためには戦争も起こす大国。監視・管理社会を目的に巨大化するデジタル産業…。
グローバル化する〝社会に潜む闇〟をテーマに、海外を飛び回って取材を敢行。次々と繰り出される新書はいずれもベストセラーとなり、出版界を賑わし続けてきた。
「最新刊のテーマはバイオテクノロジー。私が長年、取り組んできたテーマのひとつです」
最新刊の新書のタイトルは『堤未果の「すばらしい新世界」』(集英社新書)。メインタイトルに続く『スマホで赤ちゃんを注文する日』というサブタイトルはセンセーショナルだ。
2年前、2024年に刊行された『国民の違和感は9割正しい』(PHP新書)は、全国の書店で軒並み新書部門ベストセラー1位を記録した。
このとき堤さんを取材した際、何度も口にしていた言葉が、そのあともずっと強く頭のなかに残っている。
「日常暮らしていて〝違和感〟を覚えたら、それを無視しないでほしい。そこには必ず何かが隠されている。〝違和感〟を研ぎ澄ませながら生きてほしい」
この言葉を自身が実践することこそが、国際ジャーナリストである堤さんにとっての〝最大の武器〟であり、最新刊のなかでも遺憾なく発揮されている。
「700万円」の命
「ニューヨークで暮らしている私の友人が大型犬のゴールデンリトリバーを飼っていて、『もうすぐ愛犬が寿命を迎える。別れる日が来ることを考えるのがつらい』。友人はそう話していたのですが、最近になって愛犬の話をすると、『もう大丈夫。解決したから』とうれしそうに話すのです」
友人にその理由を聞いてみると、「亡くなったら愛犬そっくりのクローンをつくってもらうことに決めたから。友人はそう答えたのです」
明るく話す友人の声に堤さんは驚き、同時に疑問を感じたという。
そこに堤さんは〝違和感〟を感じたのだ。
さらに、この友人の話を、堤さんには他人事として済ませてしまうことができなった理由があった。
「3年ほど前に私が飼っていた愛猫が亡くなったのです」と堤さんは打ち明けた。
「自分自身、17年間、ともに過ごした愛猫を失い、ずっとこのつらさから解放されなかったことを思うと、ペットのクローンをつくることが、決して他人事ではない。そう思えたからです」と続けた。
ただし、堤さんは友人との会話で生じた、この〝違和感〟を、そのまま放ってはおかなかった。
さっそくクローンビジネスについて取材を開始する。
そうして分かってきたクローンビジネスの実態は衝撃的だ。
《元アメリカンフットボール(NFL)選手のトム・ブレイディが、飼っているピットブルのミックス犬ジニーが、実は2年前に亡くなった愛犬ルアのクローンであることを公表したのは、2025年11月のことだった…》
お金で命は買える…。死んだペットがお金で甦るなら…。そう考える米国人は少なくなかった。
すでに米国では、日本では考えられないような、このペットのクローンビジネスが現実化し、社会に広まっているのだ。
《日本円で700万円ほど払えばペットの犬や猫を復活させてくれるサービスを提供したのは、クローン作製大手ビアジェン社。多くのハリウッドセレブやトムのような有名スポーツ選手といった、裕福な顧客に支えられている》と、驚くべき米国の実態に堤さんはペンの力で斬りこんでいく。
SFの世界ではない現実
この堤さんの話を聞いていて、本誌連載『物語が始まる』6月号で紹介した是枝裕和監督の言葉が私の頭のなかに甦ってきた。
今年の仏・カンヌで開催されたカンヌ国際映画祭のコンペ部門にノミネートされ、5月に日本で封切られた是枝監督の新作『箱の中の羊』は、2年前に亡くなった7歳の長男が、生前のままのそっくりの姿のサイボーグとなって夫婦の前に現れる―というストーリーだ。
最新のAI技術によって、亡くなった人を、そっくりそのまま映像で蘇らせるというビジネスが中国で流行っている…。
是枝監督は、この話をニュースで知り、中国へ行き、このビジネスを立ち上げた会社社長を取材してきた、と取材で語った。
さらに、日本に帰ると是枝監督は最新AIや最新のロボティクスの研究者たちを取材した。是枝監督は「この中国の社長は『今はまだAIの映像ですが、10年後には亡くなった人そっくりのロボットが完成しているでしょう』と話していました」と語り、さらに日本の研究者たちは「ロボットが完成するよりも、クローンの登場の方が早いかもしれないですね…」と続けたのだ。
堤さんの友人が飼っている愛犬は、「まだ生きています」と話すが、今も米国では次々とクローンのペットが〝誕生〟している。
映画で描かれた世界が、すでに現実の社会で進行し始めているのだ。
命は誰のもの
堤さんには、この新刊を書く明確な理由があった。
今から3年前の2023年。堤さんは米国在住の弟夫婦とともに、サンフランシスコの介護施設にいる叔母を訪ねた。
堤さんにとって叔母は憧れの存在だったという。1960年代の始めに版画を学ぶために渡米し、カルフォルニアで画家として活躍していた叔母は、まさにアメリカン・ドリームを体現した女性だった。
だが、久しぶりに介護施設で再会した叔母は、夫を亡くし、脳梗塞で視力を失い絶望の淵にいた。
「陽気だった叔母はすっかり変わってしまっていました。『死にたい』と話すようになり、そして、ある決断をします」
カリフォルニア州で2015年に成立した「終末期選択法」が叔母に死を選択させた。
「安楽死」を州が認める法律で、「皮肉にもこの法律が叔母の願いを〝救った〟のです」と堤さんの声は沈んだ。
別れの日。叔母は「ありがとう、ありがとう」と集まった家族たちに感謝の言葉を口にしながら、錠剤を飲み、自らの意志で息を引きとったという。
堤さんの弟は「ある意味、幸せだったのかもしれないね」と言ったが、堤さんの悲しみと虚無感は、日本へ帰ってからも消えることはなかったという。
さらに、叔母が亡くなる約3年前。がんを宣告された堤さんの母は延命治療を拒否し、尊厳死(終末期に医療行為をやめることによる自然死)を選択し、亡くなっていた。
現代社会への警告
母、叔母、そして愛猫…。
〝自分が愛した生命〟が次々とこの世を去っていくなかで、胸に生じた違和感はしだいに大きくなっていき、それが、この書を書き進める原動力になった、と堤さんは明かす。
そして、この強いモチベーションを胸に、堤さんは書く覚悟を固めた。
「三つの死をめぐる悲しみを抱えながら、高速で進むバイオテクノロジーの最前線を追ってみよう…」と。
堤さんが取材した米国や中国などで研究が進む〝バイオテクノジーの最前線〟は、国境の垣根が低くなりグローバル化が猛スピードで進む日本にも押し寄せ、日本人にとって無関係では済まされなくなるだろう。
妊娠前の遺伝子操作によって、性別から頭脳、体格までも親が望む〝理想の赤ちゃん〟をスマホで注文できるビジネス…。脳と身体をいつまでも若く保ち、老化を防いで生き続ける〝不老長寿〟のビジネス…。
堤さんが抱いた〝違和感〟は取材を進めるなかで、さらに大きく膨らんでいった。
「命はいったい誰のものなのか?人の手で勝手に寿命を伸ばしたり、生死を決めていいのか?」
堤さんは、この書によって、人や動物の命さえ、テクノロジーや資本の力でコントロールされ始めた現代社会へ痛烈な警告を発する。
「私たち日本人が忘れかけている、命をめぐる貴い思想を、もう一度掘り起こすために…。一人でも多くの人に、この本を届けたい」


「一年に一冊は書きたい」と意欲をみせる堤未果さん

堤未果(つつみ・みか)
国際ジャーナリスト。東京都生まれ。米ニューヨーク市立大学大学院国際関係論学科修士号。国連、米国野村證券などを経て現職。『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』(2006年、海鳴社)で黒田清日本ジャーナリスト会議新人賞を受賞。『ルポ 貧困大国アメリカ』(2008年、岩波新書)で日本エッセイスト・クラブ賞と新書大賞をW受賞。
近刊『国民の違和感は9割正しい』(2024年、PHP新書)など著書多数。『堤未果の「すばらしい新世界」 スマホで赤ちゃんを注文する日』(集英社新書)は全国の書店などで発売中。












