2016年
3月号

平成の国宝を造る|月見山 浄徳寺 客殿完成

カテゴリ:建築, 文化人

高野山真言宗 浄徳寺 住職 宇賀 芳樹 さん
株式会社奥谷組 代表取締役 千田 日出雄 さん
現場監督 榎本 晋 さん

未来の国宝をめざして−− 高野山真言宗「浄徳寺」では、客殿の建て替えを行ってきたが、5年の歳月を経ていよいよ完成した。長年の固い信頼関係で結ばれている浄徳寺の宇賀住職と奥谷組の千田社長、現場監督の榎本さんに、その意義についてお話しいただいた。

高野山金剛峯寺の檜を使って建築

―高野山真言宗総本山金剛峯寺から寄贈された檜を使って建てることになった経緯は。
宇賀 「阪神・淡路大震災からの復興、創建875年を迎える記念に建てるのだから高野山の檜を使いたい」という檀家皆さんの願いを申し上げたところ、座主様から「よろしいよ」と快諾いただきました。貯木場の檜材と、必要であれば奥之院の裏山から選んで切り出してよいと言っていただき、千田社長と榎本さんと一緒に見に行き選別して、樹齢推定80年2本と120年2本、立派な木を切らせていただきました。

―高野山真言宗のお寺でも高野山の檜材を使えるのは珍しいのですか。
宇賀 42年にわたり高野山に献木し、消えてしまった高野山の植物も育ててきました。「そんな浄徳寺さんから費用を取るなどできない。差し上げます」と言っていただきました。搬出までしていただき、傷をつけないようにヘリコプターで運びましましたので、搬送費用負担だけで使わせていただくことができました。

―一般的に檜を使えるというのは現場でも珍しいことですか。
千田 関西では平安から室町までは、大きな建物は檜で造られています。ところが檜が不足してきたので欅を使うようになってきました。檜は針葉樹の中でも最高の材質で、大工にとって非常に扱いやすい材木です。カンナがかけやすく、適度な油分でノミ切れがよい。水にも強く長持ちします。檜を使えるということは大工にとってはありがたく、建物にとっても非常によいことだと思います。

浄徳寺と奥谷組。百年以上の付き合いで培ってきた信頼関係

―国宝・重文クラスの建物を数多く手掛けておられる奥谷組ですが、創業は?
千田 初代が伊賀上野で創業しているのですが、明治6年(1873)に手がけた建物の記録が残っていることが最近分かりました。そこから数えると創業143年目です。

―木材の備蓄加工から工事まで一貫したシステムが奥谷組の特徴ということですね。
千田 今回も高野山の檜を選別製材するところから引き受けることができました。神社仏閣の材料をずっと専門に製材していますので、それぞれの木をどう製材して、どこにどういうふうに使うかということも判断できます。大工さんも下請けに出すことはなく、ずっと自前でやってきました。現在直営で宮大工を50名抱えています。木工事については全て責任をもって引き受けることをモットーとしています。

―浄徳寺とのお付き合いはいつからですか。
千田 大正11年(1922)に完成した浄徳寺庫裏を建てたのが奥谷組です。震災後の本堂の解体修理もさせていただきました。続いて、今回の客殿、庫裏も施工させていただくことになりました。
宇賀 奥谷さんは、震災前の庫裏の図面も全部残してきちんと保管されています。大正11年以来のお付き合いですが、それ以前に描いてもらっただけで着工することもなかった庫裏の図面も全部保管されています。こんなことができるところは他にないですよ。信用という以外の何ものでもない。ですから私は、要望はするけれど、奥谷さんを全面的に信頼して仕事に口出ししたりしません。餅は餅屋ですからね。

国宝の意味は「未来に残す価値がある」と思ってもらえること

―奥谷組では「未来の国宝を造る」ということですが、その意味は。
千田 国宝になっている建物は時代的に古いだけではないと常々私は感じています。火災に遭うことなく残ったという幸運もありますが、地震や台風などの災害に遭っても潰れないということは、あらゆる意味でバランスが取れているということです。「未来の国宝になる」というのは、構造的にも姿的にも優れたものであるということです。造ったものを修理するか、建て直すかという相談をしばしば受けます。そんなことを繰り返しながら、潰さずに修理して残したほうがよいと判断されて今に至っているものです。私たちは、次の世代の人たちに「修理したほうがいい」と言っていただけるものを造りたいと思っています。

―浄徳寺本堂も解体修理したということは、残すだけの価値があると判断されたということですね。
千田 もちろんそうです。

平安の様式で造られた平成の寺

―人材育成の苦労もおありでは。
千田 毎年、全国から宮大工を目指す人がやって来てくれますので3~4人を採用しています。現場で掃除や資材運び、カンナやのみの刃研ぎから始めるのが大工です。継続して奥谷組に仕事をいただけるということは、宮大工志望者にとっては勉強になるよい機会をいただいているということだと思っています。

―一人前になるには何年くらいかかるのですか。
千田 ひとつの建物を最初から最後まで受け持つ棟梁になるまでには最低20年はかかるでしょうね。
宇賀 奥谷さんはいい棟梁を抱えておられますよ。昭和27年(1952)、本堂を建てた時の棟梁のことをよく覚えてます。住職の言うことも聞かないほどえらい頑固な棟梁でしたね(笑)。

―お二人もご存知ですか。
榎本 お会いしたことはないです。
千田 私も面識はないですが、奥谷組伝説の棟梁です(笑)。
宇賀 頑固でも技能の高さは素晴らしかったね。「そこまでやらんでもいいやろう」という細かいところまでやってくれました。そのお陰で寸分の狂いもなかった。あの大震災でも潰れなかっただけでなく、どの仏様も微動だにしなかったんですよ。バランスが良かったね。しかも当時はお金も物もない時代。手近にある物を使って造ってくれました。最後は、足場にしていた頑丈な丸太まで、解体して使ってくれましたからね。本当にありがたかったですよ。

―今回の客殿・庫裏建設に当っても棟梁がつきっきりで?
宇賀 今回は3人の棟梁がかかりっきりでやってくれました。厳しい棟梁、黙々と仕事する棟梁、その場でビシッと言う棟梁。仕事のやり方は三者三様でも、それぞれいい仕事をしてくれる棟梁です。

―現場監督として苦労もあったのでは。
榎本 建物は客殿と庫裏ですから、その用途はお寺としてお客様を迎えることと、住宅として住まわれるという2つがあります。限られた敷地内での平面設計や当初のレイアウトには苦労がありました。浄徳寺さんの要望をお聞きしながら進めました。
宇賀 ちょうど東日本大震災の日も京都で打ち合わせをしていました。地震とは思わなかったのですが、気分が悪くなって…。その頃から始めていたから足かけ5年かかっての完成です。

―完成をご覧になっていかがですか。
榎本 最初から携わらせていただいていましたので嬉しいですね。苦労した甲斐があって、よいものができたと思っています。
宇賀 平成の寺にぴったりのいいものができました。浄徳寺は、平安時代の雅さのある寺です。鎌倉時代の大きく、いかつい造りとは違います。例えば本堂も「うわ!でっかいな」というものではなく、「きれいやな」というものです。京都の大工さんは平安朝の雅を大事にして造ってくれますね。平安の様式を残した平成の寺です。何年か経つと平成の国宝になるかも知れません。
千田 中国から仏教と一緒に入ってきた技術を日本人好みに造り変えてきた和様の様式が完成するのが平安時代中期です。浄徳寺の造りはちょうどその時期のものです。柱の頭にのせている肘木や組み方、屋根の曲線などを見てもよく分かると思います。

―コンクリートで造り変えるお寺も多くなりましたが…。
千田 虫喰いや雨漏りなどをさせない限り長持ちするのが木造です。日本の木造は消耗品と考え取り替える部分と、柱など何百年も使い続ける部分とを使い分けています。

後の世の人たちが、きっと評価してくれる

―立派な山門を造ることになったきっかけは。
宇賀 突然イメージが湧いた(笑)。
榎本 東寺の灌頂院東門をモデルにして造っています。

―東寺をモデルに造れるなんて、すごいことですね。
宇賀 奥谷さんだからできること!棟梁が細かい造りにまでこだわって何度も何度もやり直し、とことん納得のいくものを造ってくれました。
千田 私はいつも「たくさんいいものを見なさい」と言っています。幸い京都には素晴らしい建物があり、とりわけ東寺さんには国宝、重文をはじめ優れた建物がたくさんあります。例えば金堂はあれほど大きな建物ですが、棟は必要以上に巨大なわけでもなく、あっさりこぢんまりとしています。私たちにとって学ぶところがたくさんありますが、説明しても分かりにくいものです。見てこそ分かるものです。
宇賀 何でもいいもの見て、目を肥やさなあかんな(笑)。浄徳寺は200年たったら、何も言わないでも平成の建物だと分かってもらえるようになる。300年たって残っていたら、平成の寺・浄徳寺は「大事なもんや」と認めてもらえる。それでいいと思っています。

―後の世で「平成のよい建物」と言ってもらえる。それが平成の国宝を造るということですね。
本日はありがとうございました。

平安朝の和様を取り入れた大玄関


東寺の灌頂院東門をモデルにした山門


欄間は、日本建築の美しさを表現した


奥行きに広がりをもたせた渡り廊下


和様形式の斗組(客殿・大玄関)


大玄関に彫刻された蟇股(かえるまた)。職人技が生きる


木材に鑿を打ち込む箇所、深さを墨で印す


丁寧な作業が、後世に残る名建築を生み出す


円柱形に製材する前に、まずは八角に製材する


畳250畳の広さを誇る現寸場。ここで仕上げを行い、現場では木材を組み立てるだけの作業を行う


本社に隣接する南工場。大型の走行クレーンは独自に開発した


奥谷組では、自然乾燥させた貴重な木材を貯木している


客殿竣工まで5年を要した。写真右から千田さん、宇賀さん、榎本さん


宇賀 芳樹(うが よしき)

月見山 浄徳寺 住職
2004年、高野山真言宗から僧侶の最高位である大僧正を贈られる。2003年には、密教の故郷、ブータンの山岳地帯にあるタクツァン寺院が山火事で焼失、神戸ブータン協会副会長として梵鐘を寄贈するなど復興再建のために尽力。長年、ボーイスカウトの活動を通して青少年の育成に務める。2007年には、モスクをイメージさせる納骨堂を完成させ、現在も「平成の寺」をめざす

千田 日出雄(せんだ ひでお)

株式会社奥谷組 代表取締役
1950年、和歌山県生まれ。1975年に京都大学工学部建築学科卒業後、清水建設株式会社入社。1979年、一級建築士取得。1980年に株式会社奥谷組に入社。1991年に一級建築施工管理技士および一級土木施工管理技士取得を経て、1992年に株式会社奥谷組 代表取締役社長に就任

榎本 晋(えのもと しん)

株式会社奥谷組 建設部工事課係長
1967年、和歌山県生まれ。1985年に株式会社奥谷組に入社。1995の阪神淡路大震災の災害復旧工事において浄徳寺を担当し、本堂の復旧、渡り廊下、鐘楼堂の新築工事を実施。2012年から浄徳寺客殿、庫裡新築工事の担当となった

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