9月号
オフィスは戦前の名建築|日本製麻株式会社
日本製麻株式会社
代表取締役社長
中本 広太郎さん
―本社を置く「神港ビル」は昭和14年、川崎汽船本社ビルとして建てられた名建築ですが、使い勝手はいかがですか。
中本 最新のオフィスビルと比べると柱や梁が多いですから正直、少し使い勝手はよくないです。ところが、そのお蔭で丈夫にできていて、阪神・淡路大震災でもビクともしませんでした。震災後、耐震診断を実施されたそうです。既に築後70年近くたっていたにもかかわらず、「この後50年は大丈夫」という結論だったそうです。もう一点は、電気の配電盤を追加設置したため、当初は電気の使い過ぎには要注意ということでした。どちらも、慣れてくれば気にならないものです。
―震災と戦災にも耐えてきたビルということですね。
中本 戦後はGHQの司令部が当ビルに置かれていたそうです。
―由緒正しく、頑丈なビル。いつから、本社を置かれたのですが。
中本 平成13年12月からなので、ちょうど10年目です。懇意にさせていただいていた乾汽船さんが本社を東京に移す際に、「空きができるのでどうですか?」とお話をいただきました。
―本店は富山県にですが、日本製麻の発祥の地は神戸ですか。
中本 元々は、神戸で「中本商店」として麻袋の売買を行っていました。大正7年設立の富山の紡績会社を買い取り、「中越紡織株式会社」を設立したという経緯があり、今でも富山県に本店を置いています。輸出入の便宜上、神戸が実質的な本社機能を持ち、富山には製造機能を置いています。
―麻袋とはどういうもので、何に使われているのですか。
中本 主に、穀物類の輸送に使われています。現在はタイとインド東部から製品を輸入しています。まず丈夫で、天然素材ですから、最後は土に戻り、環境に優しいのが特徴です。
―麻は袋以外にも使われているのですか。
中本 電線ケーブル用介在糸や米用袋、土のう、緑化園芸資材、農業用のひもなどにも使われています。
―全国シェアはどれくらいですか。
中本 麻製品全体としてのシェアは分野、用途が多様なため分かりませんが、現在、日本黄麻工業会のメンバーは当社を含めて2社だけです。
―麻を扱う会社がパスタを製造するようになった経緯は?
中本 麻袋の中身として小麦があり、製粉会社さんとはお付き合いがありました。そこで、古くからあったパスタメーカーを買い取り、ブランド名「ボルカノ」はそのまま製造を始めました。現在は富山の北陸工場で製造しています。独自の路線を貫いて日本最古のパスタメーカーとして技術を承継しています。強力粉を混ぜてモチモチ食感を出す日本人に合ったパスタもずっと作り続けています。同時に本場イタリアからの輸入もしています。
―マット事業はどういう経緯で?
中本 麻製品を製造しているタイ工場で、ナイロン糸を織り機で織ってみたらどうだろうかという発想で始めてみたものです。ほとんどがフロアマット用に自動車メーカーさんに卸しています。現在、新車販売台数の全世界シェアの約1%を日本製麻グループが製造しており、今後も拡大傾向にあります。
―今後の会社の発展はどのようにお考えですか。
中本 お客さまのニーズがどんどん変化して、私たちが思っていることとマーケットニーズとのズレの速度が速くなっています。新商品や新分野の開発で、当社だけでは対応しきれない部分を他分野の企業といかにタイアップしながら進めていけるかがカギだと思っています。
日本国内では需要が伸びない自動車のフロアマットのターゲットをどこへ持っていくか、また、付加価値の付けにくいパスタをどうするかなどが今後の大きなテーマです。パスタについては、「神戸」という場所と名前にこだわった製品づくりを考えています。
―神戸に本社があるということは大きな強みですね。
中本 神戸のブランド力のお蔭で、いろいろな商品がファッション的な扱いを受けることができます。その流れにのっていくのも一つの方法だと思っています。
中本 広太郎(なかもと こうたろう)
日本製麻株式会社
代表取締役社長
1970年生まれ。芦屋市出身。41歳。杏林大学卒業。1992年日本製麻株式会社入社。1994年から2000年までCape Cod Golf Properties, Inc.(米国)出向。
2002年代表取締役社長就任、現在に至る。趣味は、ゴルフ、音楽鑑賞、スポーツ観戦。