2011年
9月号

触媒のうた 7

カテゴリ:文化・芸術・音楽

出石アカル
題字 ・ 六車明峰

前号では、話、大分それました。元に戻して、中野繁雄の盗作詩集のこと。

先にこの詩集『象形文字』の装丁は棟方志功だと書いた。
棟方は、昭和31年に、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展で国際版画大賞を受賞(これは日本人初)するなど、このすぐ後に国際的板画家になる、あの棟方である。
掲載の写真は、その詩集の扉絵。いかにも志功だ。
しかし、これぐらいで驚いてはいけない。志功はこの詩集に「象形文字跋記」と題して跋文まで寄せているのだ。
「象形文字ノ著者ハ堂若サト真実トイフ事ニ盡キル。著者ノ在方ニハ驚嘆イタスベキ真実デ全ウシテヰル。永イナガイ著者トノ間柄ハ、ドウ言葉デ綴ツテモ纏ラナイ程ニ本当ガ多イ。マトマル事々グライデハ無イノダ。肩ヲ叩イテ、後(ウシロ)カラ怒泣(ドナッ)テ、手ヲ握ラナクテハ聲ガ出ナイ程ダ。ワタクシハ、著者ノ真実ヲ身ニシテイル。ワタクシ自身ノ躰ノ様ニ、著者ノ躰ヲ叩キ握ル。」
こんな調子の、褒めちぎりの、難しい文章が続いて、結びはこうだ。
「象形文字ノ持ツ偉大ハ詩ノ持ツ偉大ヤモ知レナイ。ワタクシハソウイフ偉大ヲ享ケル。コノ事程ノ眞實ナル冥加コソ、コノ著者ナレバコソト、ソノ偉大ナ偶命ニ倚レルヲ冀(コイネガ)ツテ止マナイ。
    ―荻窪、白山神社添ヘ雑華堂、
            鯉雨晝斎ニ記して―
 昭和二十九年十二月十四日佳宵

なんと難しい文章だろうか。本当に志功はこんな文章を書くのだろうか。しかも文中に"真実"という言葉が何度も出て来る。皮肉ですねえ。しかし、具体的なことは書かれてなくて空疎だ。跋文の体をなしていない。
わたしはこの文章を宮翁さんにお見せした。すると、
「これも中野が自分で書いたんじゃないですか?」と。
なるほど、やりかねない。忙しい志功には「わたしが書いておきます」てなことを言ってね。
だけどそこまでやるかなあ。
で、わたし、棟方志功の自伝、『わだばゴッホになる』を入手し読んでみた。どんな文体なのか知りたくて。
これが面白いのだ。ちょっと読むつもりが実に面白くあっという間に読み終えてしまった。中には涙を催す場面も。昔、西田敏行でテレビドラマ化されたのを見たが、そのままの面白さだ。もちろん志功は文章家ではないので名文とはいえない。しかし分かりやすい文章だ。その一端を、
「終戦も福光で迎え、二十六年まで住みました。終戦直後、河井(寛次郎)先生を讃える板画「鐘渓頌板画巻」二十四枚を彫り、日展に出品して岡田賞を受けました。二十二年十月には、天皇陛下の北陸ご巡幸に拝従し、「北陸夕刊」紙上にその拝従記をいたしました。翌々年は、岡本かの子の詩を題材に「女人観世音」十二枚を彫りました。女人にひそむ愛憐というものを歌ったこの詩に恐愕して彫りました。この作品は二十七年、スイス・ルガノで開かれた国際版画展で最高賞を得たものです。日本板画が初めて世界から受けた賞です。
福光では、家も建てました。この家は谷崎潤一郎先生が「愛染苑」と命名してくれました。谷崎先生とは、のちの三十一年に『鏡』のさし絵板画を作り、一緒に仕事をしました。(略)」
どうでしょうか、この文章。実に分かりやすく正直に書かれているではありませんか。
自伝だからかも知れないと思い、ちょっとお堅い、板画についての論文も読んでみた。たしかに、自伝のような平板な文章ではなかった。しかし、あの跋文のような空疎なものではない。ここは、宮翁さんが仰るように、中野の代筆の可能性が高い。
しかし、それにしてもねえ…。
思うに、よほど自信があったのだ、バレないと。
だってネタは、戦前のさして話題に上らなかった無名の人の短歌集である。その中の、たった一行から盗り入れるのである。しかも、ネタ元の福田米三郎は昭和21年に亡くなっている。誰にも分かるものか、ですね。
ところが、宮翁さんの追い打ちをかけるような証言。
「中野は、戦後、大阪にあった日本デモクラシー会館に勤めてました。そこで福田米三郎の追悼会があったんですよ。それに彼は出席してたんです。だから間違いなく福田の『指と天然』を読んでいたんです」
いやあ、恐いですねえ。
 「書いたものは残る。いつ誰が読むか分からない。本は余程注意して出さねばならない」
宮翁さんからお聞きした、富田砕花翁の言葉である。わたしも心せねば。

出石アカル(いずし・あかる)

一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。喫茶店《輪》のマスター。

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