7月号
世界の民芸猫ざんまい 第二回
「我輩は 黒猫 である」 屈辱の慣用句
中右 瑛
吾輩猫族は嫌われものと、人間界では思っているに違いない。それが証拠に、十二支にネズミはいても猫はいない。イヤ排除されているのである。犬と同じように猫は人間の最も身近な存在でありながら無視されているのが気にくわない。一種の動物いじめで、その理由はミステリーである。
忠犬ハチ公の銅像はあっても、猫の銅像は聞いたことはない。犬は一日飼えば一生恩を忘れないといい、猫は三年飼っても三日で忘れる、と決め込んでいる。吾輩猫族を、犬族よりも下等な動物だと、人間界ではそう思っているらしい。
慣用語ではもっとひどい。猫糞(ババ)、猫なで声、猫に小判、猫に真珠、猫に鰹節、猫可愛がり、猫を被る、猫も杓子も、猫の子一匹もいない、猫の手も借りたい、猫のしっぽ(不要なモノ)、猫にマタタビ、猫舌、猫びたい(狭いこと)、猫背、猫の目、猫足(忍び寄る)などなど、いい喩えは一つもない。
「犬も歩けば棒に当たる」は思いもよらぬ幸運にめぐり合えるかも…という希望を持たせた諺だが、しかし、「窮鼠猫を噛む」は吾輩らにとって屈辱的な諺である。「猫を殺せば7代祟る」「猫は虎の心を知らず」。加えて歌がいけない。「〽猫ふんじやった…」とはけしからん!揚げ句の果てに「化け猫」にしてしまうなんてとんでもない。馬鹿にしている。
しかし、よいことがある。猫は福を招くとして「招き猫」の置物は大変縁起が良いのである。吉兆、幸運を呼ぶ猫、金儲け、来客を招く、商売繁盛として商店の店先にデンと居座っている。前足を挙げ、人を手招きするしぐさは客を招くだけではなく勝負事に勝利し、 交通安全、家内健康、病気も完治するというので、評判である。
幕末のころ、浅草の三社権現で売られていた「今戸焼丸〆猫人形」から始まったとされる。丸〆は○の中に〆という字を背中に刻印した「招き猫」で、「お金を丸まる独り占めにして儲ける」という意味があり、「招き猫」は金儲けの元祖で、爆発的によく売れたという。
今戸焼のブームはしばらくして終わってしまったが、その後「招き猫」は日本の各地で造られ、売られた。
■中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞、地域文化功労者文部科学大臣表彰など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。