2月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ㉑ 港野喜代子さん Ⅱ
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
詩人、港野喜代子と会うことになっていたとおっしゃる四夷教修さん。
奇しくもその日、一九七六(昭和五十一)年四月十五日のおそらく深夜、一人で港野は旅立った。
「忙しくしておられて、『阪神西宮駅で渡すから、あんた買ってね。五時ごろ行くから』ということでした。詩集『凍り絵』を持って来られるということだったんです。大分待ちましたが来られませんでした。よほどお忙しいのだと思いました」
たしかにその日の港野は、涸沢さんの文にあるように新聞社回りなどで忙しくしている。多分失念しておられたのだろう。後日、その日に亡くなったと知って四夷さんは大きな衝撃を受けたと。
四夷さんの港野との関係である。
「朝日新聞に詩集『紙芝居』の記事が出たんです。それでわたし、港野さんに直接注文しました。すると、『YMCAの教室で講座を持っているので、良かったら出てきてください』と手紙が添えてあったんです」
それが昭和27年、四夷さん21歳だ。教室は二十歳前後の若者ばかりだったという。港野は色の白いきれいな人だったと。
通い始めてしばらくすると、
「あんたの字は読みやすいと言われましてね、生徒の作品の謄写版刷りを任されるようになりました。そのころ、仏教会の庶務をしてましたので、寺に謄写版があったんです」
四夷さんは父親を早くに亡くし、そのころすでに住職を務めておられる。
ということで四夷さんと港野との付き合いはその後24年の長きに及ぶ。しかし四夷さんはご自分の詩集をお持ちではない。ガリ版刷りの作品でも残っていれば見せていただこうと思ったが、「いやあ、もうどこへ行ってしまったか…」と。見つかったら見せて頂く約束をしたが、さて。
前号に『凍り絵』の扉の詩を紹介したが、わたしは四夷さんから本をお借りした。しかしそれは葬儀の場で販売されたもの。当然ながら署名はない。ところが同時にお借りした二冊の詩集には署名があった。
『紙芝居』(昭和27年・爐書房刊)と『魚のことば』(昭和30年・日本未来派発行所刊)である。
“再びの出会いのために”の添え書きがどちらにもある。わたしはその意味が解らない。
「これは?」とお尋ねした。すると、
「この本はコピーなのです」と。
「ある人にお貸ししたのですが返ってこなかったんです。どうやらその人がどなたかに又貸しして行方不明になったようでした。すでに絶版になっていて新たに入手できず、港野先生も余分をお持ちではなく困りました。わたしにとって大切な本でしたのでね。そしたらその人が、図書館から借りて、表紙なども含めて全頁コピーして製本して下さったんです」
しかしよくできている。素人が作れるものではなく、本作りのプロの手になるものだろう。ただ、コピー機が世に広まって間がないころだったのか、文字が滲んだようになっていて読みづらいところがある。
コピー製本は五冊作られたという。一冊は四夷さんが受け取り、一冊は紛失した人が持ち、あとの三冊を港野に贈呈したと。その時に、あらためて署名してもらったので“再びの”だったわけだ。ところが港野は、「こんなことされたら困るんですけどねえ」と言ったという。そりゃあそうでしょう。全頁丸ごとコピーなんて。
それに関連した話がわたしにもある。『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)のことだ。大阪の文学学校へ通う人から「今村さんの『コーヒーカップの耳』の全頁コピーが、小説部門の教室にたくさん積んでありましたよ」と教えられたことがある。小説創作の教材にされていたのだ。わたしは「えっ?とんでもないことを!」と思ったが、ある面うれしいことでもあったので抗議もせず、そのままにしたのだった。
教修さんに質問してみた。
「港野さんの詩の中で最もお好きなのは?」と。すると、
「たくさんいいのがありますけど「蜂供養」がいいですねえ」
「えっ?実はわたしもです。ほら、ここに付箋してるでしょ」
三冊の詩集をざっと読んだだけだったが、わたしもその詩が最も印象深かったのだ。
港野の第一詩集『紙芝居』の中の一篇。貧しい暮らしの中での子育ての一情景だが、多感な少年の複雑な心理が見事に描かれている。この詩は35行あるのだが、その最初と最後だけを紹介しよう。そして中ほどの一部を六車明峰氏の書に託す。
少年は瓶に集めた蜂を部屋の中に次々放し
弟や妹の悲鳴を平然と見ている
(略)
(略)
やがて彼は振り返りざまワツと泣いて
あの寶、全部戻せと母に責めつくことであろう
さて行方不明の本だが、本というものは巡り巡るもの。いつかどこかから姿を現すのではないだろうか。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。近著『触媒のうた』-宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。