7月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から② コーヒーカップの耳
出石アカル
書 ・ 六車明峰
二〇〇二年七月号から二〇十一年二月号まで一〇〇回にわたって、本誌に「コーヒーカップの耳」というタイトルで連載エッセイを書かせて頂いていた。
それはわたしがマスターをする「喫茶・輪」に集う人のドラマチックな話を紹介するものだった。
しかしその後、時の流れに逆らえず「喫茶・輪」廃業のご挨拶状を常連さんにお配りした。
先ず、その一部を略しながら。
《「輪」は昭和62年12月6日にオープン致しました。その日は冷たい風が吹く日でしたが、空はよく晴れ渡っておりました。以来24年近く、皆様にかわいがって頂きました。(略)当初はわずか10席の店でした。しかしすぐに手狭になり、拡張して7席ばかり増やしました。ところがこれでもまた手狭になり、ほどなく二度目の拡張をしました。それが今の店舗です。これはお客さまの支持なくしては叶わぬことでした。
ここで、24年近くも営業させて頂きました。それもみな、「輪」を可愛がって下さった皆様のお陰です。しかし、やはり時が流れました。淋しいことではありますが、このほどやむなく店を閉じることに致しました。24年間、過ぎてみれば短かったですが、やはり長かったようにも感じます。色んな人との出会いがありました。また悲しい別れもありました。真に「輪」はドラマチックな場所でした。10年前には、「輪」を舞台に繰り広げられるドラマを『コーヒーカップの耳』という詩集にもしました。また、その後、タウン情報誌『神戸っ子』に「コーヒーカップの耳」と題したエッセイを約10年間百回にわたり連載させて頂きました。どれも「輪」に集うお客さまの豊かな人間性がドラマを生んだのでした。これらは「輪」の貴重な財産になっております。心から感謝申し上げます。
(略)
平成23年盛夏 喫茶・輪 店主敬白》
この挨拶状を受け取った常連さんが「まだ辞めんといて。俺が定年になるまでやってぇな」などと惜しんで下さり、その声を無視することが出来ず、営業形態を縮小してその後も細々と扉を開けてきたのだった。しかし店内には、パソコン、プリンター、書棚なども置いて、ほぼわたしの書斎と化している。
そんなエエカゲンな店に今も日々、コーヒーを飲みに顔を見せて下さるお客さまがある。今回はその中の小出さんという人の話を、以前の「コーヒーカップの耳」の形で。
「椅子」
とうとう医者に見捨てられてしもた。もう治療の方法はないからホスピスを考えなさい、言いよんねん。ほんで俺、今、日曜大工しとんねん。孫にな、椅子作りよんねん。バーベキューとかした時に、これジイちゃんが作ってくれた椅子や、ゆうてくれるかな、と思て。そやから俺、今忙しいんや。……。人間の一生、あっという間やなあ。死んだらな~んも残らへんもんな。凡人はみなそうちゃいますのん?なんか残るもん、マスターにはあります?俺が今思てんのはな、孫に、小出誠一ゆうジイちゃんがおったということを覚えておいてほしいんや。うん、それだけ。この世にその子が生きて覚えててくれる間は俺も生きてんねんな。それで、素人大工で椅子作っとんねん。仮に一カ月後に俺が死んだとしても、小出誠一ゆうジイちゃんを覚えといてくれたら、六十年七十年生き続けるわけやん。うん、俺が今思てるん、それだけ。
この話をされてから約三カ月後、どうしておられるかな?と思ってケータイに連絡しようとしたが繋がらなかった。そこでいつも彼と連れだって来ておられた森さんに電話してみた。すると「昨日亡くなった」とのこと。
「喫茶・輪」のカウンターは、今も悲喜こもごもの人間ドラマを展開し続けている。
■出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。