3月号
触媒のうた 25
―宮崎修二朗翁の話をもとに―
出石アカル
題字 ・ 六車明峰
前号で幸田文さんについて書いたがもう少し。
お姿が載った本の表紙写真をご紹介したが覚えておいでだろうか。日本家屋の縁側で和服姿ではんなりとお座りになっている文さんを。
『幸田文 没後10年』(河出書房新社)という本だが、これを読んでいて、わたし「エッ!」と思いました。
奈良斑鳩の法輪寺三重塔が再建された際の上棟式の写真だ。行列に加わる法被姿の文さんが載っている。
さらに、川村二郎氏が書かれた「塔と木」という興味深い文章があった。
―全集第十三巻の月報に(略)奈良の斑鳩、法輪寺の三重塔再建の折、西岡常一棟梁のもとで副棟梁として工事にたずさわった宮大工、小川三夫氏の談話が載っている。「斑鳩の幸田文さん」と題を置かれているその談話の最初に、こうある。(略)―
その話は大変面白い。文さんが建設現場で壁土をこねるのを手伝おうとし、壁土の中に尻もちをつき…というようなエピソードなどが紹介されている。が、わたしにとってそれは面白いだけではなかった。
小川三夫氏といえば、実はわたしの遠縁にあたる人なのだ。法輪寺三重塔再建は、氏が26歳の若き日に携わった大仕事。この時、西岡棟梁は薬師寺金堂の仕事で忙しく、法輪寺は小川氏に任されたのだ。立場は副棟梁だが、実質的な棟梁として。
西岡棟梁は「法隆寺の鬼」と呼ばれ日本一の宮大工として高名だった人。小川三夫氏(『木のいのち木のこころ』などの著書あり)は、その一番弟子であり、後に宮大工を養成する「鵤工舎」を立て上げ、優れた弟子を数多く育てておられる。
わたしとは直接の血は繋がっていないが、親戚の法事などで席を同じくすることがあり、宮大工の世界の珍しいお話を伺う機会がある。しかし、文さんの話は聞いたことがなかった。今度お会いしたら是非お聞きしてみたい。
話が逸れた。
幸田文さんを姫路の文化講演会に案内された宮崎翁だが、この時は伊藤整さんもご一緒だったと。
伊藤整(1905年~1969年)。作家、文芸評論家。
一般には「チャタレイ裁判」で有名だが、宮崎翁が姫路の文化講演会へ案内された時は『女性に関する十二章』で話題になっていたころ。『女性に関する…』は当初、雑誌『婦人公論』に連載され、後に単行本として刊行されてベストセラーになっている。
わたしは伊藤整については『チャタレイ夫人の恋人』(伏字だった)の翻訳を読んだことがあるくらいで、その人となりは全く知らなかった。で、この機会に『女性に関する十二章』を読んでみた。
想像していたより文体が柔らかい。こんな感じです。
―(略)またさらに考えれば、私は他の諸先生にないところの資格を持っています。すなわち私は、さき頃ワイセツ文書販売罪で起訴されて第一審の裁判では無罪となりましたが、この雑誌(婦人公論)が発売されている頃は第二審すなわち高等裁判所の判決が下って、改めて有罪か無罪かになるというような、被告人、被疑者であります。(略)その上、私は、友人の三好達治という、当代一流の詩人の判断するところでは、大変早熟の詩人であったとのことですが、二十歳にして、数十篇の恋愛詩を含む詩集を刊行しました。その後は、小説家と文芸評論家とを兼業し、さらに幾つかの学校で教師をしました。恋愛詩人で、小説家で、文芸評論家で、教師で、しかもワイセツ文書販売罪の被告人である。なるほどこれでは女性に教えさとす意見を多く持った人間であると判断されても致し方ないでしょう。―
こんな諧謔に満ちた文章を書いておられる。
その伊藤氏を宮崎翁は「いやあ、立派な方で、紳士でしたねえ」とおっしゃる。
「会場の楽屋口でね、ぼく、ファンに取り囲まれました。サインを頼まれたんです。あのころぼく、背は伊藤さんより高かったけど、痩せてたんでね、間違えられたんです。あとで伊藤さんに『ぼく、先生と間違えられました』と言ったら『そういえばよく似てるねえ』と改めてぼくの顔をまじまじと見ておられました」
掲載の写真は、『伊藤整氏奮闘の生涯』(伊藤礼・講談社)の表紙カバーだが、整氏の新聞小説の挿絵を担当しておられた三芳悌吉氏によるスケッチ画である。ホントに宮崎翁のお若いころに似ておられる。この本には写真も何点か掲載されているが、それもまたよく似ておられて、ファンが間違ったというのもうなづける。
「白状しますとね、お恥ずかしいことですが、一瞬自分にサインを頼まれたのかと思いました。その時ぼくもある本を出した直後だったんでね。いやホント、お恥ずかしい」
ある本とは、この連載の第一回「本の背中」に書いた『文学の旅・兵庫県』(神戸新聞社・昭和30年発行)のことである。宮崎翁の処女出版本だが好評を博し、初版何千部かがすぐに売り切れたという。勘違いしてしまう気持ちはわかりますねえ。
■出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。