7月号
第五回 兵庫ゆかりの伝説浮世絵
中右 瑛
お夏狂乱・供養の比翼塚
〈前号までのあらすじ
播磨室津の造り酒屋・和泉屋清左衛門の息子・清十郎は放蕩の末に勘当され、姫路城下町の米問屋・但馬屋の手代として奉公、但馬屋の一人娘お夏と深い仲となるが、嫉妬した番頭が但馬屋の金を盗み、その罪を清十郎になすりつける。清十郎は激怒のあまり逆上し番頭を殺してしまう。お夏と清十郎は手に手を取って但馬屋を後にした。〉
お夏と清十郎は飾磨港までやって来て、船で大阪へ出立しようとしたとき、追っ手によって清十郎は捕らえられ、お夏は連れ戻された。お夏は自宅謹慎処分となり、清十郎は船場川の河原で討ち首となってしまった。
清十郎の処刑のことは、自宅謹慎中のお夏には知らされなかった。お夏は、ただただ愛しい清十郎のことばかり
「今頃、清十郎さま、牢で淋しい想いをしていることやら…一目会いたい」
そんな想いを馳せるお夏の毎日だった。
ところがある日のこと、塀の外で近所の子供たちの歌声が聞こえた。
清十郎殺さば お夏も殺せ
同じ刃で もろともに…
お夏は、ただならぬ歌の文句に動転したのである。
「清十郎さまは死んでしまったの?…」
お夏は、悲しみのあまり発狂したのだ。それからというものは、清十郎の姿を求めて、町をさまよい歩く。
向ふ通るは
清十郎じやないか
笠がよふ似た
すげ笠が
「恋しい清十郎さま…」
恋人を呼ぶお夏の悲惨な姿は、町の人々の涙を誘った。
狂乱したお夏は、その後、どうなったのか。
身を隠し七十歳まで生きた、とか、自殺して果てた、とも伝われている。
一説には、お夏は清十郎の室津の実家までゆき、そこで清十郎が討ち首になって既に死に果てたことを知り、清十郎の後を追って、室津の海に身を投げた…とも伝えられているが、定かでない。
お夏・清十郎の悲恋を哀れんだ但馬屋の主人、九左衛門は、天国で二人が永久に結ばれるように…との願いを込め、野里の慶雲寺に“比翼塚”を建立し供養をしたのである。“比翼塚”には今も、二つの小さな石塔が仲良く並んでいる。毎年八月、同寺において、その供養が執り行われているという。
■中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞、地域文化功労者文部科学大臣表彰など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。