11月号
第九回 兵庫ゆかりの伝説浮世絵
中右 瑛
黒田官兵衛と竹中半兵衛
NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」が放送中だ。地元兵庫県では大変な人気である。もう一人の軍師・竹中半兵衛。「この二兵衛」が秀吉を天下人にした功績は大きい。
黒田官兵衛(天文15年・1546~慶長9年・1604)は名を孝高といい、一般的には官兵衛と呼ぶ。出家後の号は如水。御着城主の小寺政職の姪・光を正室に迎え、姫路城代となった。姫路城とは深い因縁がある。
父・職隆は御着城主の小寺氏に仕えた姫路城の家老で、天文15年(1546)、官兵衛が生まれた。母は明石城主の娘。少年時代は武芸に明け暮れ、14歳の時母を亡くしてからは和歌に目覚めたという。父は44歳で没、官兵衛は若くして姫路城代の家督を継ぐ。
ときは戦国時代、東の織田信長と中国地方の大勢力・毛利輝元の狭間にあって、官兵衛は織田方の羽柴秀吉に味方し姫路城を譲り、播磨地方制圧の戦いでは知略、奇策でもって貢献した。勢力争いの戦いが続き、さまざまな苦難の末、摂津の国・有岡城の荒木村重の裏切りに官兵衛は幽閉されたが、もう一人の軍師・竹中半兵衛に助けられ、盟友となる。
鳥取城の兵糧攻め、備中・高松城の水攻め、信長横死の本能寺の変では、最大の危機を迎えるが、秀吉「中国大返し」等の奇策で秀吉方に勝利をもたらす。天才的、面目躍如の参謀ぶりを示した。
官兵衛の浮世絵を点検中だが、なかなか見つからない。秀吉周辺の武将たちとしても探索したが、庸として不明だ。ここに掲載した浮世絵版画「太平記英雄伝」(国芳画)には建中官兵衛重治とある。これは果たして官兵衛のことか?
実は、竹中半兵衛重治(天文13年・1544~天正7年1579)のことである。黒田官兵衛の名がないのは、かれは黒子(裏方)として表向きにはあまり知られていなかったからだと推測される。史実はともかく、主に『絵本太閤記』(岡山玉山画)などから取材された浮世絵には半兵衛は登場するが、官兵衛はない。
図には、半兵衛の傍らに渾天儀が描かれている。科学的にも優れた頭脳の策略家であることを表現している。図中の添え書きには半兵衛の経歴が描かれているが、ここでは省略する。
中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞、地域文化功労者文部科学大臣表彰など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。
2013年度地域文化功労者文部科学大臣表彰記念
中右瑛・抽象アート展
―ミラクルブルー 男の嘆きの詩―
■会期 2014年12月13日(土)まで開催中
■開館 9:00~17:00
(土曜10:00~16:00、日・祝休館)
■料金 入場無料
■会場 兵庫県公館県政資料館 兵庫の文化展示室
神戸市中央区下山手通4丁目4-1
■交通 神戸市営地下鉄「県庁前」駅下車すぐ/
JR「元町」駅徒歩約5分